101/09/21(Fri) 15:54:14

ハーレム148th.Streetから乗った地下鉄を途中でおりて国連本部まで歩いていく。
ポモドーロらしき彫刻がとぉーくに見えるけど、やっぱし、ここの道路も封鎖されている。。。、。とりあえず食事。ずぅーたいのデカイ黒人がイチゴのケーキを3つプレートに載せて僕の前に座った。
「キュキュキュッキュッ」スクラッチの音、、、。携帯電話の呼び出し音。。
   ぷっ
これだからタビはやめられない。

「友人のスタジオにいこぉ^−」ってことでnickが何度も電話してくれたんだけど、先方が留守だったみたいで「ま、いーよ、またこんどね。それよりきょーどっかでなんかElectronic musicのliveやってないかなぁ〜」っつったんだけど、どーも今日はロクデモなイもんしか演ってないっつーことになって、どっか連れてってくれるみたいだったんだけど、明日はスゲ早いし丁重にお断りして「またこんどね。ありがと」っつって、歩き出したのだ。。。、。
  っつっても、よーわからんので、とりあえずCBGBへ、。
ふぁっクを連発するどーでもいーよーなのしかやってなかったんで、すぐ出て、そのままVILLAGE VANGUARDにMartial Solalのトリオを見に行った。

それが、mスごかった。
マーシャルソラール。いくつだろぉーか、とっくに70歳は過ぎてるはずだ。
耳に残る11thをfrancois mountin,bill stewartとユニゾンで平行移動していく、めちャ輪郭が鋭利な・・・・これは、バップログレだ。
Baldwinのピアノをアルジェリア生まれのこの老人は、指を立てたり寝かせたりしながら次へ次へと一瞬のパッセージを何億萬回も間に突っ込みつつ前向きに攻め続けて行く、。
2メートルの近距離で、この奇跡の演奏現場に立ち会えただけでも、ここにきた意味アリアリ。はじめて見たソラールのステージだったけど、これは、なんだ、mモノスゴカッタ。のだった。。。。。。、、、、。

演奏が終わってから、Martial Solal氏のとこへ「ものすごくよかった、どうもありがとう」って日本語で言ったら、ニコっとして握手してくれた。
これで僕の右手は神のエキスを受け継いだ・・・・・・・ハズダ
楽屋で手を振るソラール氏と別れニューヨークの夜は終わった。

7th avenueを11丁目から46丁目まで歩く。。。。。
途中なんか焼焦げたよぉーなへんなニオイが・・・っとおもったら、グシャグシャになった灰まみれのパトカーを引きずったレッカー車が、僕の横を通り過ぎていく。

『GOD BLESS AMERICA』のフラッグをくぐり、部屋に戻ってきた。
うまくいけば、今日はアトランタそんでもって成田。これで、とりあえずのおしまいだ
このまま寝ないで空港へ、っつーかもー出なけれバッ

101/09/20(Thu) 16:09:28

アメリカ南部では、ターバンを被ってるっつー理由だけで“3人の妻と15人の子供を持つ海外留学経験の無い死を恐れぬ優秀な土建屋の息子”のイチミと間違われて、インド人が1人殺されたらしぃ。。。
 なんどもゆーけど「犯行声明は無い」んでしょ?
だったら、これは、罠だ。
ストレスと混乱で国力を貶めよぉーとしてるのか、もしくは、そんなことさえどーでもよく、政治的目的を実現するためのテロリズムでさえなく、ただ、何かを・どこかで・試したかっただけだったのかもしれない。死んでしまった犯人はナニジンだったかさえわからない?

ネットワークの支障で、出金はできても入金が出来ないとか、身近にモロモロあるにせよ。このあたりの表面のことしかわからないけど僕には、あの事件にしては今のニューヨークはシッカリしてるよーに見える。スゴイ

そもそも、モトから、効率よく機能するよぉデザインしていたんだろーし、、テロ対策・戦争対策も現実の中でキッちりとsimulationを重ねてきたんだろぉーo。
これが、例えば『首都高へのアタック』だけだったとしても今頃どぉーなってたんやろか。
昨日Whitney Museumで、篠山キシン氏が撮った石原都知事の写真を見た。彼の発言の数々がメちゃリアリティをもって想起させられる。、、首都にイマダ山積する低レベルなインフラの問題の数々に、周辺の県知事&土木政治家達は見方を変えたのか?
代議士&役人の責任よりも、民意や民度の問題のほぉーがたぶん重要な悪因だろー。

JFKニューヨークからのインターナショナル便はマダマダ無理みたいだ。
ラガーディアLGAニューヨークからアトランタ経由で、なんとか、22日の成田行きに乗れそぉーだ。
これ以上長引くのなら、知り合いのアパートに居候でもしよかっっつて思ってたけど、たぶん、こんどこそ大丈夫だろぉ。
  今回のこの件。
 ワールドトレードセンターとペンタゴンへのアタック、そして、ホワイトハウスへアタックするかもしれなかったもぅ1機の自爆。。これを、日本でどぉー報道されているのか、それを、大多数の日本人がどぉー感じているのか、、<、ものすごく知りたい。

101/09/20(Thu) 14:42:09

おおむねニホンを出ると、細かい情報が入り難くなるんで竹を割った解釈が可能になって、そーなるっつーてーと、おおむね日本っていい国だなはぁ〜、って思うんだけどぉ今回は逆だ。

そもそも、ヨーロッパから学ぶべきことなんて今時無いだろ。アメリカにいちゃもんつけられるよーな筋合いなんてあるわきゃないっしょや。なんつーことは、ほぼ正しい、正確な、あたりまえのことで、日本から見る日本人旅行者のイメージ & 日本から見る欧米の優秀さ & 日本から見る〜(以下省略)ってなことは全て錯覚でm、その、錯覚のお陰で日本が世界をリードでき得る地位にまで先人達が創り上げてくれたっってxぇのは事実だ。優秀な先人達はその『錯覚』を意図的に活用してきたんだと僕は信じてる。
 アホらしぃーのは、未だにその錯覚を錯覚って気付かずに、白人信奉してるのーたらりんドモが、行政のリーダー周辺として居座り、かつ、最悪の世代(団塊男とその上の女)ならまだしも、20代30代の日本人の中にその誤解を引きずってる連中がいるっつーこと以上にキモチワルイスカトロな事実があrるか。

っつーか、最悪の世代のイカシタ人々&その後の優秀な日本人達は日本を無視することによって、それぞれの世界で最高の仕事をし続けてるってな事実は、知の流出を喰い止める策をもとーともしないアホどもによって、確実に成功を収めつづけている。

まだ確実な情報では無いけど、世間では、
3人の妻と15人の子供を持つ海外留学経験の無い死を恐れぬ土建屋の息子によってアメリカ・アタック命令が出された。っと、なっている。
   どーなんだ? え? これって? 価値観って? なんて役立たずなんだ? え? だれが正しい? って?
まず、日本の教科書に小室直樹"日本人のための宗教原論"を採用してくれ・・・
それからぢゃないと、会話がなりたたんのぢゃないか?

101/09/20(Thu) 13:55:32

セントラルパークをぬけて、ホイットニー美術館へ。学割のチケットを買って入ってみる。。。。、、、。
  たぶんサンフランシスコを描いたモノスごい坂のパースペクティブなWayne Thiebaud。、Tony Ourslerのvideo projectorを使った作品がめっっっチゃオモシロイ。
そこらぢゅーに星条旗がナビいてる今のニューヨークでJasper JohnsのThree Flagsは、特別なモノに見えてきたり、したり、、、、、、、、、連日、夜中までサイレンが鳴り響いているけど、彼らに感謝しなきゃな。政府高官が乗ってるってな理由でJAL機は順調にフライトあるらしぃーけど、それに乗ってきた、その、政府高官っつーのはNYのHERO達にお礼にいったのか?、こっちで会った日本人が「あんなの国会や議員会館に突っ込んでりゃ、ニホンもマシになったのにな」とか言ってたで、えーー? ニューヨークの消防署にはたくさんのロウソクが飾ってあるの、ちゃんと見てきたのかぁ、あ?あ”−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

そのまま歩いてTimes Squareへ。
なんkか、歌舞伎町みたいなSex Shopだらけだったこのへんも、3年位前からディズニーがビルを買いあさったらしく、夜になってもサンリオショップのネオンが眩しい。

午後8時。
TOWN HALLへ。ローリーアンダーソンを見に行った。。。。。、、、
「今夜はデリケートな音楽を・・・・」ってアナウンスで始まった80分間のステージは一瞬だった、、。こんなことは、めったにmm、っつーかハジメテだ。
キーボードは東京で見て以来10年振りのピーターシェラー。
おちついた演奏は、耳小骨・エウスタキオ管をやさしく揉んでくれる。、。、、Coolな演奏には戦略が必要だ。本来悪い奴ほどよく食べる。好きな事だけやるんであれば、喰って寝て死ぬだけだ。使命が降りたら、そこから、飛び方を、方向と順序とスピードを選ばなきゃならない。
ローリーアンダーソンの黒い衣装は衣装で、肉が落ちた頬も胸も衣装なのだろぉ。ー。

っとttttっかおもいっつつ宿に戻ったらDelta airから留守電が入ってた。
「あなたが予約していた21日のJFK,NY to NARITAは、キャンセルになりました。次の便は28日です。」なぬぅ〜

101/09/19(Wed) 16:42:16

48丁目の楽器屋街をあるく・・・・・
エレクトロニクスのほーは、見慣れた日本製ばっかしで、たまにドイツ製品があるくらいで、なんつーことないんやけど、さすがぎたーは本場。。、。 ちょいめずらスぃーのがいくつかあって、FenderUSA The Travelerっつーのを1本買っちゃった。。 ぼくは、めちゃ小さいのとスゲ大きいぎたぁ〜にゃ、ちょい弱かったり。。。。、、、

そのまま歩いてThe Museum of Modern Art(MoMA)へ。
なんか、Taniguchi Yoshio氏設計の増改築中で、けっこー展示品が少なかったんやけど、そのかわり無料。地下では市川昆監督の作品上映中。

夕方、The New York Times社のNICKと待ち合わせてインドネシア料理店へ。
伊関ケーコさんとも合流して、アメリカの好戦的な態度について、東京の効率の悪さ等々内外事情をモロモロと、、v伊関さんはNYのアートスクールでNICKといっしょだったみたいで、いろいろ教えてくれてホンマ助かる。、
  JALなんかは政府の要人が乗って来るんで、ほぼ100%飛ぶらしいが、アメリカ国内のAAなんかはまだ20%位しか飛んでないらしぃーー。NICKはもぉ〜本物のオタク「P-modelのあのパートの音色はどーやって作ったんだ?」とかとか、やたら細かい質問攻め。、。「なんで、そんな日本のインディーズとか詳しぃんだ?」って聞いたら「インディーズぢゃなくて、エレクトロニックミュージックが好きなんだ。」「そーだよなぁ」っつーよーな、、わけで、The New York Times社の帽子を貰って、僕の作業中のCDRをあげて、レスラン出て、伊関さんと、とりあえずのお別れ。。。
 なんか、伊関さんの「ニューヨークはやっぱ大阪だな」って発言はおもろかったなぁー。
なんか、たしかに、そんな気がする。。
住まなくてもわかる、この、住みやすさ。
なんどもゆーが、楽チンさ加減。
派手と地味とエクスペンシブとノットエクスペンシブと雑多なモノのパワーが秩序立って街のイメージを構築してる。他人の目を完全無視出来る自立した効率性。これは、確かにリアル大阪だ。

NICKが「ダウンタウンにスモールストレンジショップがあるから」っつんで地下鉄乗っていってみる、、、、。6st.Mark's PlのKim's Video&Musicへ。
 やー、このへんは、便利だし、ほんまオモロい。
もろもろ行ってNICKがタビタビ解説してくれる。
ぜんぶはワガラんが、なんかResidentsのDVDとか買っちゃったりして数店舗をわたり歩いて、観光の夜は更けるので、あ、っ、た。

それにぃしてモー
ワールドトレードセンターのガードフェンス沿いに歩いていった、昨日の夜中のチャイナタウンのメチャ元気さ派手さ加減には、いわゆるメんくらったなー。
たとえ核戦争がおきても、ゴキブリと中国人は死なないだろぉー。
中国共産党は憎くても、ぱっやり中国人って憎めないなぁ〜、っすよ

101/09/18(Tue) 18:49:40

帰国便を予約するのにDELTA Airに電話。
さいしょ19日以降は「飛ぶ」って話しだったんだけど、通話の最中に「キャンセル=ダメ」になった。。、次のれる便は21日。それも、確実では無いらしぃ。

地下鉄のホームで今日の日付が入った『臨時Subway Map』を撒いてる。ワールドトレードセンター付近の地下鉄駅は封鎖されている。、
マンハッタンの南に向かってCanal St.駅で降りてみる。。。改札を抜け路上に出たら、やっぱりCanal Streetで、道路は封鎖されていた。。。閉鎖された店舗の壁には無数の張り紙が、、、、探し人と英雄へのメッセージだ。警察と軍隊の向こうはなんなのだろx−ぉ。か 。時折IDカードを下げたジャーナリストらしき人々がロープをくぐり中に入って行く。。、。バンコクで作ったInternational Journalist Cardを、ここで出す気にはなれない。。。。
 これ以上先には進めないので、対岸のBROOKLYNまで地下鉄で、、、、途中、封鎖された駅のホームをくぐるとき、車内のライトが薄くなり徐行、、、、Clark St.駅でおりて、BROOKLYN BRIDGEめざし、その橋で、歩いて、マンハッタン島まで、、、、。。。、。、、、、。。
  橋を歩いている途中、左側に「自由の女神」が、、、、前方には白い煙が・・ワールドトレードセンターは見えない。。。マスクをして対岸から向かってくる人々、。、、、
BROOKLYN橋からマンハッタンに下り、警察がblockしてるフェンス沿いに歩いてみる。。。無数の発電機の唸り声。

    あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ”あっっっっっっっっっっっっっっっっっっったあー

ワールドトレードセンタービルが、あった。
ワールドトレードセンタービルは、低いほうの壁だけが残ってて、あとは瓦礫だった。

なんなのだぁー
告白すると、実物を見るまでは、、飛行機が突っ込んで、ワールドトレードセンタービルには穴が開いただけなのでは?すくなくとも、立ってはいるのでは?、、、と、思ってた、。Village VOICEの表紙写真も煙と火を噴いてる“立ってる” ワールドトレードセンターの写真だったし、TVの映像もそれだった。。。それしか、見てなかった、、、、。無くなってる、、とは・・・・・・・

数日前まで見えなかったハズの向こうのビルが見える。
すぐ隣りのビルは、窓ガラスがわれたりしてたりしてただけ、。
かなり近くで見れた、ってことだ。
全焼になってた建物もあったけど、、その周りの建物はけっこー全部大丈夫で、ワールドトレードセンターのすぐそばのウォールストリートは、もう、働いてるよーに、夜も電気がついてた。
世界の中心地の一部だけが一瞬になくなったのだ。

みんな冷静だった。

Crashの瞬間から数日経ってはいるけど、それでも、みんな、かなり冷静に見える。、。、警察も軍人も消防士も、冷静且つ紳士的に的確に対応しているのが伝わってくる。プロ意識と高い民度だ。
  なん、な、の、だろー
アメリカだ。国が市民を一帯化させるのでは無く、市民の共同体意識が国を一帯化させるのが、民主政治の基盤になっているはず。、。自立と責任。、。責任を押し付けず、自分のことを理解する。国の為に理解しようと努める。

テロリスト達が犯行声明を出してないのならば、これが、「市場民主主義への破壊行為(目的)」「反資本主義」「反グローバライゼーション」だと決め付ける、ことさえ出来ない。、。
ただ、テロリスト達にとって、これが成功だとするならば、戦争のスタイルがパラダイムシフトしたってことだ。戦争自体の革命だ。
実行部隊以外のテロ集団も、目が覚めただろぉー、。時代が今、変わった

よくわからないけど、こんなときに日本では 、自らの国益を守る為に「世界の諸国と共に自らの闘いを開始する」宣言をしてないのか?

テロリスト達が犯行声明を出してない以上、相手が明確でない以上、アメリカは報復してはならない。報復にはなりえないハズだ。ツライが、自重してくれ。

タイムズスクエアに戻り、本屋で週刊誌を見まくって、だんだん、事の内容が、報道の内容がわかってきた。
ぜんぜnん勘違いしてたことも、おーかった。

ただし、これで 日本がテロリストにとっての格好のターゲットになったことは明確だ。
日本は甘すぎる

WTC暦元年

101/09/18(Tue) 18:48:52

バーカウンターの窓の向こぅにネズミ色のU.S. AIR FORCE機が見える。。。
『アメリカ入出国カード』を空港のチェックインカウンター係員の目の前で全て記入させられ、金属探知機でポケットのライターを没収され、なんどもナンドモしつこくパスポートチェック。
KINGSTON,Norman Manley International AirPort70分遅れでボーディング開始。

この飛行機に乗れたのは、どーやら、かなりラッキーだったらしぃ。。ともかくギューギューだ。。。 JALやANAは飛んでるみたいだけど、デルタ航空はまだ60%位しか飛んでない。アメリカの他のキャリアは、もっとだめかも、よくわからんが、、、、、。
夜8時、ニューヨークJFK空港に着陸した時には拍手喝采。とんで、よかった

キツいチェックを抜けてJFK,NewYorkからバスにのり、タイムズスクエアでおりてみる。。。ひたすら歩く。。。、。MISSINGと書かれた無数の張り紙。路上でワールドトレードセンターの写真を売ってる人々。ロウアーマンハッタンのスプレー画を書いてる人。。。。。、、。、。南の方を見るとワールドトレードセンターの方だけ空が白く濁ってた。

ひたすら歩いて宿を探す。。。。、、

なにがどーなってんだか、よくわからんが、いろんな人がよってたかってニューヨークに住みたがるのがわかるよーな気がヨぉークわかる。、、、、なんつーか、。ラクなのだ。マッタク1人になれるし連帯してるよーな錯覚も感じる。自分の能力や結果が正当に評価されるよーな気がする。。。
  いやいや、来たばっかりで、そんな、決め付けるのはイカン。
また、街中のシングルに入ってしまった。
こんなことでえーのか、、、。こんなんで、mまた、ドミトリーを渡り歩くよーな生活が、また、、できるのか、、、。、。、、、。か、か、か、か、か、か、か、か、か、か、か、か、か、。。。
         楽勝だ
いつでも、そんな生活に戻ってやる。
ギリギリになった時にはギリギリでOKだ。うぇるかむギリギリだ。。。。。>ギリギリでもないくせに路上で寝たがる連中の気が、まったくわからん。
ほんとのローエンドぢゃなきゃ、ローエンドの旅しても意味無し

101/09/16(Sun) 16:16:11

ボブマーリーの元自宅、Bob Marley Museumへ。
あの青いタイトな、ツギハギシャツ。茶色のレスポール。彼の寝室。メディテーションルーム。WAL'N SOUL'Mを再現した1坪大のちいさなレコードショップ。
ローカル新聞のはじっこに見っけた死亡記事のショックを思い出したり。。。。
 タフゴングのステッカーが張ってあるままのミキサー。、、。、そーか、タフゴングスタジオ、行ってみたい。
   、、、、、、、で、、
タクシーつかまえて「タフゴングスタジオ知ってるか?」「知ってるけど今日は閉まってる」・・おまえなんでそんなこと知ってんだぁーと、思いつつも「ぢゃ、どこでもいーからレコーディングスタジオに連れてってくれ」「ヤーマン!」ほんとかxsァ〜ってかんじだったけど、とりあえず、MIXING Recording studioってとこへ。
 仕事してんのかどーなんだか「中見せてくれ」っつったら「いよ」ってな、。mmmなるほどなーってかんじで、あーよかった。ぢゃ、次ってわけで、JR ONE BLOOD Recording studioへ。
 門を開けてもらって、中にはいったんだけど、なんだ、壁にCDやらレコードやらがやたらと飾ってあるだけで「ここ、スタジオぢゃなくてレコード屋なんぢゃないのかぁ?」とか思ってたとこに、奥からドレッドの男が「どーかしたか?」「いや、中を見せてほしいんだけど」「なぜだ?」「僕はミュージシャンで、レゲエをクリエイトしてるスタジオを見る為にキングストンに来たんだ」「OK、でも、ここのスタジオは新しく作ってるとこで何もないぞ」「いいから見せてくれ」ってなわけで、奥のスタジオに入っていったら、ほんとに改装中で、壁を抜いてあったり、ラージスピーカーの埋め込み穴があけてあったり、ペンキを片側だけ塗ってあったり、なぁ〜んだってなかんじだったんだけど「ところで、おまえは俺を知っててここに来たのか?」「いや」「俺を知らないのか?」と言って、壁のCDを指差す。
  なんと、その壁に掛かってたCDやアナログ盤のジャケットは、すべて、その、彼の顔写真だった。
 そして「ワんぶらっッド〜」って歌いだし「ほんとに知らないのか?」。。。。。彼は、One Bloodの作者で、数々のヒットソングを持つらしぃレゲエシンガーJUNIOR REID氏だった。
  それから、その壁に掛けてあったCDを10種類くらい抜き出して、ミニコンポのボリュームをいっぱいにして、次々とかけていく¥・。。。・・・・CDにあわせて歌いだしたりして「どーだ、この曲もいいだろぉ」とか、延々つづけたあたりで。「ありがとう、会えてよかった、それぢゃ」って帰ろうとしたら、「ま、いーから、俺についてこい」っttってなわけで、連れて行かれたとこは、そのCDの中の5枚位をレコーディングしたっつぅ今使ってる、スタジオだった。

  そこでJUNIOR REID氏は全てのマシンに火を入れて、OTARIのアナログ24chデッキに、ぶっといAMPEX456マルチテープをのっけて、TAC Magnum26ch4busミキサー卓の前に座った。。。なんと、そこでミックスを始めたのだ。
     のだが、音がやたらと小さい、っつーか、スピーカーから音漏れのよーな音しか出力されてない。「エンジニアが昨日、ミックス途中のまま帰っちゃって、よくわからないんだ」そんな状態の卓をいじっていいのかぁ?て、思いつつも「お前もミュージシャンだろ、使い方判らないのか?」ってなわけで、僕が卓に座って、ヨク見たらマスターのミュートが切れてなかった。。。。それを解除すると爆音でミックス再開。。。
H3000、Quadro verb、dromer comp、ns10m、、、見慣れた機材がたくさんある。でも、その機材のすべてが、ひどくよごれてる。。。
 メーターを見ながらAUXにLexconのdelayを送ってみた。
 いわゆるダブ、である。
それをCUTで操作しながら、えんえんとリアルタイムでミックスし続ける。。。僕のミックスでJUNIOR REID氏が歌いだした。。。。。。。。。。、そーいえば、コンピュミックスを使い出してから、こんな、リアルタイムのあたりまえのよーなミックスはひさびさだ。
その作業は夕方まで続きつつも「こんどジャマイカに来たときは、ここで仕事しな」っとか言われ「ともかくまた会おう、ありがと」っつって、to ToKoBuKi って書かれたサイン入りの彼のCDを貰いJUNIOR REID氏に別れを告げた。

あーおもしろかった。
それからTOP GUN studio、SONIC Recording studio、GIBBS Recording studio manufacture、SAFFARI Recording studio、ALLOWS studio、、、、へ。そのへんのスタジオは、このへんの一帯にかたまってて、信じられないよーなボロ機材から、あのサウンドを吐き出してたのだったのや。。。。。った

 いわゆる夜もふけ、途中、そのへんの露店でPork JerkとRed Stripe Beerを。。。ゴミ捨て場にゴミと同化し座り込むドレッドヘアーを横目に「レゲエクラブに連れてってくれ」とタクシーの運ちゃんつかまえ言ってみる。
GEMINI Club、AFRIQUE Club、、、なんか違う。女が寄ってくるだけで、ひどい音楽がかかってる「ダメだ、もっと違うとこだ」「プッシーが目的ぢゃないのか?」「なに言ってやがる、いいからハイスピードなレゲエがかかってるサウンドシステムんとこに連れてけ」ってなかんじで、FORT Pub。小窓の奥のDJブース内にはアクエリアスレコードで見たよーな白ジャケットのシングルサイズアナログ盤が、壁・床に積みあがってる、、。それを、次々と、BPMを無視sしてコスりつづけてく・・・ま、ちょっとはましだが「もっとデカイ音のクラブだ」「ヤーマン」・・・・・それからは、ちと、記憶があいまいなkくらい、、ジョイントの臭いだけが、しみついてる。。。。。。。。。
カリブの夜
この時間になると、そこらぢゅ〜から、盗難防止用に組み込まれたクルマのサイレンが鳴り響く。。。。

そーいえば、TVのタイトルが『ATTACK ON AMERICA』から『AMERICA'S NEW WAR』に変わってる。ぉーか。妥協と服従は新たな争いを煽動するだけだもな。
日本にも軍隊をとかゆーけどさm、既に日本に軍隊はある。無いのは覚悟だけだ。
           アメリカは狙われていた
   〜〜 リッビングスルーアナァーザーキューゥウッバァ=>

101/09/15(Sat) 17:59:55

マンハッタンで働いてる映像作家?N.D.Kentからメールで返事が来た。
彼自身は、なんとかだいじょーぶだったみたい。

>Some blocks with the biggest buildings are totally destroyed.
デストロイ っかー。
ひさしぶりに見た単語だ。

>・・・but most of NYC is ok, like the village, midtown, etc.
ん〜、。報復の報復ってのもあるからなぁ
どーだ管直人&土井高子with河野洋平<めぇーさましたかーァッ
歴史認識でボケツほってrるバアイぢゃねーっつったのに

ともかく、いつもなのか、こんな場合だからなのか、ダイヤルアップネットワークがやたらと遅い。。。このへんにゃ、インターネットカフェも見あたらん。www.nikkei.co.jpの表紙を見るのがせぇーいp@ぱい。CNNを聞き取るだけの英語力も無い。

僕が明後日NYに飛べる可能性に関しては >pretty sure だそーだ。
あ、あさってっつーか、もー明日だ。朝の4時すぎた。ヤバ、ねる

101/09/15(Sat) 17:07:19

ほっそぉ〜い急なのぼり坂を、クネクネくねくねJTA(たぶん)タクシーは登ってく。
   ハンドルを切る<>クラクションを鳴らす<>アクセル踏み込む
   ・・・・以下同文
の、繰り返し。
途中、なんかしょもガケ崩れで道が谷に向かってギリギリになってる。
そこをなんか、ちょーしよく、気にせず、「こないだの雨でなぁ」とか、mいいながらとにかく前進。。。。。。
そして、前進。。。。。。ブルーマウンテンを登ってく。
    しっばらぁ〜く走った、その先の山の中にその、クレイトンハウスが現れた。
 タクシーで門をくぐり抜けると左手に、日本人らしきの銅像が。なぬ?
 そして『忍耐・努力・感謝』の文字が。。
かつて、ミックジャガーと競売で争い買い取ったらしぃ豪邸・UCCコーヒー農園ブルーマウンテン管理事務所クレイトンエステート、、、、、、だ。おそるべしニホンジン
 ちょとにたよーな香港の山の上の豪邸を買い取ったニホンジンは、ヤオハンの倒産で引き払ったらしぃが、頼むぞウエシマコーヒー、、。。

しばらぁーくすると、中からおばさんが「農場を見たいのか?」「そーだ」「ちょとまて」・・・・・・しばらぁーくすると、外からおじさんが「そこに座れ」。。
それから
地図を出し、豆を出し、グラフを示し、写真を見せつつコーヒーに関する講義が始まった。
そして、出てきた。リアルぶるーまうんてんコーヒー。
挽いてから時間経ち過ぎなんだろぉ香りは少ないけど、ひさびさにウマいミディアムローストだ。
 と、思ったら、さっきまでサンザン知ったよーな講義をぶちまけてたおっさんが、その、コーヒーにおもいっきし練乳/コンデンスミルクを入れだした
。 ぬ。 そーくるか。
まねして入れてみたら、mこりゃ。ベリグ
        なるほどねぇ〜死ぬまで勉強だねぇ〜
それから、
山道を登ってコーヒー園へ。
サンダル履きにゃチョイつらかったけど、途中、緑色のコーヒーの実にまじって、たまにある、赤い実、。その、コーヒーの実を「食べろ」と命令。、、、、、で
ウマi!.。なんぢゃこりゃ! コーヒーの実ってこんな甘くて美味やったのかはぁー
  こんな甘い実の種をわざわざ剥がして乾かして焼いて擦って濾過して呑もぉうーーーーーなんて、だれが考えたんや?そーとーイカレテルDYんぢゃないんかいなあああああああ

   などなど
おもいつつ、。・。山腹から見えるkingstonの街並みの向こうのカリブ海の向こうの太陽が傾いてきた。。。。。。。。。
コーヒー園のおやじに「ありがとぅ、またね」「ヤー、もぉ日本に帰るのか?」「ん〜、明後日くらいにアメリカに」「マイアミか?」「いや、DELTAのオープン持ってるからニューヨークだね」「NY?おースケアリー!、ハリウッドムービー!、。ニューヨークには飛んでないよ、知らんのか?」「ん〜知ってるけど、たぶん、明後日なら、OKでしょ」「ヤーだめだろ。タリバンによろしくな。」って「よせよお前(これだけ日本語)」

ともかくブルーマウンテンからカリブ海の夕焼けに向かって山を降りてきた。。。、、、、
    タクシーのおじさんが「学生か?」「いや毎日働いてる」「なんの仕事」「音楽家だ」「おー、ぷれいみゅじっく、それで、レゲエ好きかぁ」「そーだ」ほんとは、so-soだけどな。
 そしてオやじは、ボブマーリー!ラウドサウンドシステェムゥ!って、カーステレオにCDを突っ込んだ。
このタクシーでこのまま宿に帰る雰囲気だった。んだ
     聞こえてきたカーステレオから「トレンチタウンがどーのこーの〜」ってなボブマーリーの声。¥そっかぁー、僕が知ってる数少ないっつーか唯一のKINGSTONの地名、の中でもトレンチタウン。いわゆる、ゲットーだ。
     ■ ちなみに「俺はゲットーで〜なんだかんだ」って日本語で
     ■ 歌ってるラッパーがいるが、日本にゲットーは無い。
ルードボーイ、スラム街、ゲットーだ。
「なっ、Trench Townに今から行けるか?」「トレンチタウン?だめだ」「でも、ボブマーリーは、トレンチタウンがどーしたこ〜したって歌ってる。興味があるんだ」「そのとーりだ、ボブマーリーはTrench Townで育ったんだ。っでも危険すぎる。だめだ」「アウトサイドからならどーだ」「まな」交渉成立。
臭いがしてきた。 どっかで覚えがある、あのかんじだ。
Dawn Scottのインスタレーションそのままの、ブリキで囲まれたラクガキだらけの家々が見えてきた。ゲットーだ、リアルTrench Townだっ。
タクシーに乗ったままぐるりぐるりと回ってくれた。
しばし、回って「もぉ^−いいだろ、ホテルに送るよ」って言われて、ちょいと横を見たら『Channel 1 Studio』の文字がっ。ゲッ。これかぁー
   こんなとこでレコーディングしてたのかぁーーーーーーエグっ

帰り道「ラムを買って帰る、店に寄ってくれ」って頼むと「ジャマイカンラム、好きなのか?」「そーだ、このまち3夜ぶんのラムだ」・・・・・。トレンチタウンのはずれの、なんつーか、入り組んだ場所にあるリキュールショップに寄ってくれた。となりのバーから、めちゃラウドな低音が聞こえてくる。。。【 チャカ チャカ】では無くて、縦に跳ねる、ナウでストリートでウーハーが割れてるほーのレゲエサウンドだ。。
 そーいえばブルーマウンテンに向かう途中、ウーハーが積み上げられた果実露店があってスッッッッッッッゲっラウドだった。
mmmmmmmm->れげえかぁ
ホテルに着いちゃった。
 今日の分のタクシー代を払い「ありがと、。ところで、レゲエクラブ知ってるか?」「ヤーマン!、あたりまえだろ、俺はキングストンマンだぞ!」「OK、連れてってくれるか?」「とーぜんだ。10時に迎えにくる。追加US$100-でいいぞ!」「なぬ¥ぅ、そんな払うわきゃないだろ、JA$だろっ、アホか?」「ぢゃUS$30-で送迎&クラブ代&ボディガード代込みだッ!」「ん〜、いいけど、今日はもー銭が無い。明日なら、たぶん昼間銀行で・・・」「おーフレンド!ゼニは明日でいいぜっ!、ジャスト10時に迎えにくるから、待ってろヨ!ぢゃな」っつって、彼は、去っていった。

その夜、やっぱり彼は迎えに来なかった。
ふ、やっぱりな。
明日もあるさ。の、きんぐすとんAPPLETON ESTATE Jamaica Rumと共に

101/09/15(Sat) 17:06:46

スモゥクMatterhornを2服。
ふたたび宿を出て、そのへんのタクシーに乗り込む。
「えっ、ん〜、そーだなぁ、、National Gallery of Artへ」その手の都市で行くあての無い時は、美術館が良い。

タクシーの前にはJTA(たぶん)ってな文字が。「なにこれ?」って聞いたら、「ジャマイカツーリストなんやらふんやらだ。安全なのだ。安心しな。」ふむふむ、なんやら安全らしぃ。

で、行った『ジャマイカ国立美術館』。
それが、けっこー、おもしろいのだ。ま、モダンアートに限ってだけど。。。
Dawn Scott氏1985年の作品。
これ、
なんつーか、たぶんキングストンのゲットーをstrongに再現したよーなブリキで囲まれためちゃくちゃな路地のインスタレーション。
 たまんなくて、画集を買ってしまった。たかかったけど、、、。、この旅で持ってかえる予定の最初の買物だ。

ちなみに、僕のこぶりな赤リュック。
これまで30数ヶ国、70回以上のボーダー越えを付き合ってmもらったけど、そろそろ右肩のあたりの縫い目がほつれてきた。。。。この画集を入れてもだいっじょーぶか、ちょい気になったり。おーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、、。。、、xc、
  で
出口で初代ボブ・マーリー像が見送ってくれてる。。。。。。。。。
   キューバのチェゲバラ。ジャマイカのボブマーリー。
 それぞれ教祖のよーに存在している若くして死んだ判りやすいヒーローが、偶像崇拝を重ねることによってその国々の宗教的求心力を強めていってる、の、だろー。nxaなぁ

美術館を出ると、さっきのタクシーのおっちゃんが外で待ってた。
「次はどこ行く?」「え?」「わんでぃがいどおっけぇね」JTA(たぶん)である。あんぜんである(たぶん)。
「ポートなんとか、オーチョリオス、ビーチがキレイね」「ビーチはいらない、。それに、オーチョリオスは昨日通ったし、。」「そーか。ジャマイカにはいつ来たんだ?」「昨日」「え?キングストンにか?」「いや、モンテゴベイの空港からレンタカーでキングストンまで来た」「え?1人でか?」「そーだ」「Youアローン?」「Yes」「1st time in Jamaica?」「Yes」「1st time in Jamaica, You alone drive モンテゴベイtoキングストン?」「YES」。。。ハッ
ハッハッハッハッハッハッハッハッハッハハハッハhハァー!

  なんか2人で笑いつづけた。。。。。。。。

ともかくどっかに行くことに。。
「ん〜、ほー、ブルーマウンテン」・・・・いちおー言ってみた。
「ヤーマン、れっつごーブルーマウンテンUCC」え?、なるほど、mおそるべき上島コーヒー。

途中、野球してるよーなバットを持った銅像とグラウンドが、、、「あれはベースボール場か?」「ノーマン、あれはクリケットだ」そーか、ここは、ジャマイカ・イギリスだ。
    クリケットと言えばベースボール。ラグビーと言えばアメフト。
  イギリスにやたらタテツイテタ頃のアメリカってどんなかんじやったんやろか。。、。
 アメリカばかりを責める気にはならなくなるよなぁ〜こりゃ
んで、
走っていくとこんどは、ナショナルスタジアムの向かいに、でかいボブ・マーリー像が。。「レゲエは好きか?」「もち」「ぢゃ、あれ、ボブ・マーリーだ。写真を撮れ」「カメラを持ってない」「観光なのにか?」「そーだ。そのかわり、ジャストルック!」「ジャストルック!」「ジャストルック!」「ジャストルック!」「ジャストルック!」「ジャストルック!」「ジャストルック!」「ジャストルック!」「ジャストルック!」「ジャストルック!」・・・・・その後は、なにを観ても「ジャストルック!」で、ヤーマンのーぷろぶれむだ。

101/09/15(Sat) 17:06:21

すこやかな朝食。
やはりタビはかなり健康になる。
JFK,NYは再度封鎖されたらしぃ。どすれっつんだ

宿を出て歩き出す・・・・・・・・・・・
モロモロ寄ってくる人間がいるけど、とりあえず無視・・・・・・
だんだん道がわからんくなってきたとこらへんで、男が現れ「ガイ!俺は見たぜ!昨日の夜!Altamont Court Hotelの前で!おまえがそこに入っていくとこを!マイフレンド!ヤーマン」「あぁそぉかい、ツーリストインフォメーション知ってるか?」っつったら「あたりまえだろヤーマン」きたなぁあxtっつなかんじ。
その、途中からジョイントくわえだした青年に、とりあえずついて行ってエンエンと歩いて「ここだ」っつって1人で中に入ってドアを開けたら正面に星条旗とブッシュのでかい顔写真が飾ってある。。。。「え、えええと、ここはどこ?」って聞いたら、巨体の黒人が指差したカンバンに『US PEACE CORPS』xっカぁー。あー、そO—ですヵ。
親切な巨体の黒人は、ツーリストインフォメーションへの道を細かく書いてくれて「ありがとぅ」「ゆあうぇるかむBe careful」「ばい」ってなあんばいで、なんとかツーリストインフォメーションへ。。。。。。
    ちょっとしたキングストンの資料をもらって、さらに歩いてる時に奴は現れた。
クルマから身を乗り出し「コ・ン・ニ・チ・ハ」だめだ、日本人は日本語に弱い。。。。ニヤリとしてしまった。「ワタシニホンゴハナセル、オクサンニホンジン、ニホンイタコトアル」いかにもヤバげな奴だ。無視して歩き出したら奴はクルマから降りて追いかけてきた。
「ワタシガイドスル、ヤスイネ」こーゆー時は完全無視もヤバイ。「のーさんくす」「ドコイク」「ホテルにかえるのよ」「ドコホテル」「ひるとん」ウソついた。
KINGSTONにヒルトンホテルがあるのはほんとだ。その、たぶん20階までは無いHiltonとMeridianの2つのホテルは、この街ではアっとー的に高いんでよく目立つ。目に入ったのだ。。。
「ヒルトントオイネ、オクッテイクヨ」「のーさんきゅー」ここで後ろから首をつかまれた。
おまけに、さっきのジョイントくわえた奴も現れ、「こいつはヒルトンぢゃない、Altamont Court Hotelだ」よけーなこと言いやがって、。、ここで、首をキョーレツにヒネラレた。。「ケンカガイイカ?ビジネスガイイカ?ヤクザガイイカ?」2人で僕を挟み込むよーに、僕の首をネジリあげる、イタッイタタタタァアアアアアアAAAAAAAAAAァアー!
チュニスでも1度おなじよーなことされて、大勢に囲まれ殴られたことがある。
二度とゴメンだっ。
たまたま路肩にあったTシャツ屋に、なんとか傾れ込み「ポリスかタクシーを呼んでくれ!」って、、、。。。。
 Tシャツ屋のジェントルマンは怒り顔でドヤシながら2人を外に出してくれて「どーした?」「どーもこーも首をつかまれて・・・・」「奴はトラブルメーカーだ、1度日本人の女と結婚して、日本にも行った事がある。日本語も話せる。日本人は皆、奴にやられてる」たのむよ〜にほんの女さぁ〜、かるいちょーしのべっとたいむあいずだらけはこまるんだよなぁはー。
しばらく匿ってくれてから近所からポリスマンを呼んできてくれて、そのポリスといっしょにタクシー乗場に向かった。
    それでも付いて来た奴らは、
        ポリスマンに見送られ僕がタクシーに乗り込む時、こーさけんだ
「ここは俺のテリトリーだ!Altamont Court Hotelの前で待ってるからな!今日も!明日も!明後日もだッ!」ッッるセー、だまれガイジン!

KINGSTONの警察はいい人でよかった。
たまたまかもしれんが、その手の連中と組んでるポリスがいるとこはけっこー多い。
そーいえば、朝食後にちょっと散歩の気分で出てきたんで、銭もカードもパスポートもぜんぶ、宿に置いてきたままだ。、。 赤リュックにはカギを掛けといたはずだけど、ルームメイドが入ってきて、盗まれちゃぇっらいこっちゃ。。。。。とりあえずタクシーで宿に帰って、気合入れなおして出直しだッ。

101/09/15(Sat) 17:05:50

朝6:00、。下で寝ていたフロントマンをたたき起こしチェックアウト。タクシーつかまえてJose Marti International Airportへ。
チケットを買ぉおーっとエアジュマイカのオフィスを探しあて、KINGSTON行きをUS$217-でげっと。。8:30発のフライトに乗った、んだけど、前の椅子の背もたれのポケットにはいってたairJamaicaのチラシを見たらMONTEGO BAYからSanto Domingo(SDQ)行きのフライトがあるって見ちゃって、トランジットで寄ったKINGSTONで降りずにちょい隠れて、そのままMONTEGO BAYへ。。。
 現地時間11時ちょい過ぎ、モンテゴベイ到着後departure側の空港へ。

あるいてたら、「こんにちは、どーですか?」って日本語。
日本人のツアーオフィスの人らしい。「アメリカですよね?」「・・・・いや」「・・・あ、ごめんなさい。」「いや、アメリカどーなんですか?」「カンクンからの便だけは、アメリカに飛んでるらしぃんですが、あとの便は昼12時に発表になるらしぃですよ」と言って、足早に去っていった。。
     airJamaicaのチケットカウンターに行くと、いわゆる長蛇の列。
日本人数人を含めた数十人がアメリカ行きはどーした?こーした?って、しつこく聞いてて、担当の女性数名もウンザりな雰囲気。。。、、、やっと回ってきた僕の番、やっぱり女性はウンザリ顔で「アメリカか?」「いや、サントドミンゴ」っっつったとたんにニヤリと笑い「そーかそーか、いつの?」「今日さ」「おー、ちょっとまてください」っつって内線電話をかけ始めた。。なんだかんだいろいろ聞いてくれたあげく「ドミンゴ行きは11:30、3分後発なんで、もぉー乗れません」「ぐぇ」長蛇の列がヒビいた。
「次のドミンゴ行きは?」「4日後です。」あーそーですか。
ま、そんな、どおおおぉーしても行きたかったわkけでもなかったんで、「まいーやっ、親切をありがとー」ってことにして、MONTEGO BAYにゃあnんまし興味なくなってたし、このまま、飛行機でKINGSTONもどるのもシャクだったんで、arrival側に戻ってれーによってHertzのオフィスへ。
さんざん話しを聞いてくれたあげく「わかった、。OK。でも、今日はクルマが無いんだ」ってさ。、m、最初から言えよって思いつつも、きをとりなおしBugetレンタカーのオフィスへ。
キングストンで今日中に返すことを告げ午後1時NISSANの小型車でモンテゴベイ発車。

Autoでチューニングしたカーラジヲから、イかれたダブサウンド。。いわゆるゴキゲンだ
  。。。。。。。> とちゅー『KINGSTON->193Km』のカンバンが見える。。
海辺のレストランで、ロブスターのスープと、なんかフレンチトーストみたいなのと、コーラを1杯。
たよりはレンタカーオフィスでもらった手のひら大のテキとーな地図。。。
OchoRiosまでの道はわりと簡単。舗装されてるほーの道をひたすら進むのみ、。センターラインは無い。が、現地人の運転はヤバいほど速くてめちゃめちゃ、。、、
よくこんなんで事故おきないなー、とか、よく見たら、やっぱし、けkっこーグチャグチャの車がおーかったり、、、。。。、
途中、渋滞だっっtって思ったら、数十頭の牛の行進に遭遇してたり、山羊が道路を封鎖してたり、、、、しつつも、海沿いの道を抜けOchoRiosからは山越え。。。。
 とちゅー山ん中の露天にはたいてい飲み物といっしょにホイールカバーがぶら下がってる。。。「コーラをくれ」っつったら「ホイールカバーもいらないか?」って、いるかそんなもん、、。。
    ってちょーしよく走ってたんだけど、とつぜんDANGERのカンバンだと思ったら、村人があつまってて『通行止め』。
どーなんだ、これ、tってなかんじでいつつも、村人に聞いて『Private Road DO NOT ENTER』の手書きのカンバンの無舗装道路をえんえんと走る。走る。。
たまにいる現地民らしき人々に「キングストンはあっちか?こっちか?」って、聞きつつ、異様なマーケットを数ヶ所すり抜け、なんとかLinsteadあたりまでたどりつき、ちょい休み。
そーいえば、mモンテゴベイからここまで、1ヵ所も信号なかったなぁ〜,,,とか思いつつもヨク考えればヤっぱ、1ヵ所だけあった。。交差点ぢゃなくて、川にかかったクルマぎりぎり1台分の横幅の橋のたもとにね。

Spanish Townを越えてちょい走ったあたりから、道もちゃんとしてきてキゅーに混みはじめた。。夕方6時「やったぁーたぶんKINGSTONだ、さすが人口70万人・圧倒的にジャマイカ最大の都市」、。
  ずっと窓を開けて走ってたけど、このへんから、信号で止まったら、窓拭きやら物売りやらで、クルマを囲まれてうるサくなってきた。。ブレーキを踏みつつ窓を密閉

レンタカー屋のおやじは「うまくいけば4時間でキングストン」って言ってから、とちゅー食事をして、ピッタリの時間だ。いちばん遅くまで開いてるKINGSTON空港のBugetレンタカーオフィスは夜10時closeだっていってたから、あと、4時間あるゾ、、、、、って、思ってからが、、長かった。。。
KINGSTONでちょい見よーとか、近道しよーとか、おもったのが、わけわからん迷い道。
気が付いたら、さっきも見た風景ttttttってな最悪のループ状態をなんとか抜け出し、KINGSTON空港に着いたのは夜9:30、、、、まにあった。
 ぃぃぃぃやー、りょこーの時は方位磁石持ってったほーがええよ。って、m人には言うんだけど、自分で持ってったことは未だ無い。。 去年のプノンペン・ヨーロッパの時は松本くんが方位磁石を持って来てて、カナリ!たすかった。。。

レンタカーをチェックインして、Bugetの人が「ホテルまで送るよ」って言ってくれたんだけど、、、なんかわからんので、「安宿知ってる?」っつったら、「安宿べりべりでんぢゃらす」っつんで、中でも安いNew KingstonのAltamont Court HotelまでSPEED KILLSのカンバンのSPEED LIMIT 80kmの街中を130kmで送ってもらって、Bugetとバイバイ

      んで、Altamont Court Hotel#212。。ほんとは最初#111に案内されたんだけど、なんか、へんな臭いしたんで「Would you give me a different room?」「ほわい?」「びこーず、のいじー」で、この部屋。なかなかないすよ。
ちなみに、ニューキングストンっつっても、ニューデリーよりたちわりぃ〜んでねんのため。

101/09/15(Sat) 17:05:17

なんでだか、マイアミのアクセスポイントに電話が繋がらなくなった。。
しゃーないんで、キューバからジャマイカ経由でつなげてる。、ってな。よく切れる。めちゃ遅い。、mカストロの演説と交互に写しだされるATTACK ON AMERICAのTV映像もERRORマークがでて、ときどきダウンしちゃう。
  ・・・・・・・革命博物館から歩きつつhてきとーなBarへ、。カウンターに座ってフライドチキンをたのんだら、揚げ立ての鶏の足1本まるごとでてきた。。。。。食後にハバナクラブ7Yearsを・・・・客も減ってきて、ナガシのサルサバンドもタルいかんじになってきて、演奏もてきとーに・・・・「チュニジアの夜」とかをラテンビートで演ってる。。こっちのほーがすゲぃ、セニョールココナッツのJazz版みたいなイカレた演奏;・;;
昨日までは「アメリカがクラッシュした」とかなんとかやたらと騒いでたのに、今夜はなんとなく静かな・・・・・・・・・
 こんな夜は、、、、、、、、、
そーだ、キャバレー・トロピカーナに遊びに行こぉーーーーーーーーー>
って、入り口で買ったCOHIBAをクわえてダイキリすすりながらジャパンマネーちらつかせつつステージに肩肘乗せてみるすてぇーじ。
なんtつーか、音楽とかダンシン以前に衣装が狂ってる。なんだこのステージは。、。。
2000人収容らしぃキューバ最大の野外Cabaretは数十人のバンドマンと無数のダンサー・シンガーでステージ&客席&あっちこっちを埋め尽くし、肩幅位の横幅のPAミキサーで十数人のラウドなバンドサウンドをクリエイトするCasa de la Musicaとはある種対極の充実のファシリティとエンターテインメントを繰りひろげるのだった。。。。。。。。

101/09/12(Wed) 05:20:44

昼食とりにRestrant Barのカンバンの店に入る。
なんか座ってる人は全員DAIQUIRIらしきものを飲んでて、ひっきりなしに首からカメラをさげた団体さんがやってきては順番にカウンターに座ってポーズをとってはニヤって笑って店を出て行く。。。ん?と思ったら、壁にカストロとヘミングウェイらしき人の写真が、、、そーか、ここはどーもヘミングウェイゆかりの観光バーらしぃ。
 僕はサンドイッチとエスプレッソをたのんで、その光景をずっと見てたんだけど、なんつーか、へんなかんじだ。
日本人ってのは、首からカメラさげて団体でうじゃうじゃさわいで・・・・・・とかって聞いたりするけど、そーゆy−団体さん<少なくとも僕は、日本人よりアングロサクソン白人さんらのほーをたくさん見てきた。
人が酒飲んでるとこバチバチ撮りやがってナニ考えてんだこいつら。
 こんなバーならへミングウェイももーこないだろーなぁ。。。。。。とか思いながら。いちおーダイキリへミングウェイを一杯たのんでみたのだったt。

たしかにこの国。なんでも安いけど、かといって、ん〜、インドほどでもない。
そーいえば前と後ろに2つのデカいリュックとギターを背負った、ヒゲの白人ツーリストは1人もいない。・・・・・もっと南のほーに、南米に行けばそんな奴らもいんだろぉーかはぁ。。。。。。。西アフリカはどーだろ、か、ここからものすごく近いよーな気がするんだけど、錯覚か?どや?どやどやぁ・・・・どや?

宿にもどったらホテルマンが話しかけてきた、、「ニューヨーク行くんだよな?」「そーだけど」「知ってるかニューヨークがクラッシュした。ペンタゴンが」どーのこーのって、なんやなんや? ってテレビを見たらWorld Trade Center,NYが煙を吐いてる、、、な・・・なんなんだぁーア

101/09/12(Wed) 05:16:38

海沿いに歩いてたら列車の駅があった。
構内に入り込み時刻表らしきモノを見たら『Santiago de Cuba行き19:30発=HORA DE SALIDA-?』?ってな。ぅウ、乗りたい。ホテルに荷物が置いてあるけど、なこたぁいいや、。20分後の出発だ。。。がm、切符売り場がどこかわからん、。それっぽいとこは全部閉まってて真っ暗だ。いっかしょだけ明るいとこがあったんで、行ってみる、が、中には誰もいない。。。。『BOLETINES』ってカンバンが付いてる。切符って意味だろーか。そー思いたい。
 しばし待って19:25頃、その『BOLETINES』におばさんが登場した「切符はどこで買うんだ?」・・・おばさんは無言。「Do you speek english? Does anyone here speak English?」おばさんは首を横に振った。「Can I have a ticket to Santiago de Cuba?」・・・・おばさんは首を横に振った。
           もしかしたら時刻表の見方を間違ってたんだろーか、、それとも、切符無しでも乗れたんだろーか、。いやいや、mなんか、入り口で厳しく切符検査みたいなのしてたもんなぁーーーb

 ま、と。気を取り直してウェボウェボに乗ってライブハウスCasa de la Musicaへ。
こりゃ、キョーレツやっ。
スゴ。なんか知らんサルサバンドやけど、半裸の女ボーカリストが10人以上のバンドを従えて、ダイナマイトダンシンかまして叫びまくる。とちゅう老婆みたいなのが登場して、すぇげー張り声で客を煽りまくる」。」 ギューギューの客はバラバラのクネクネの陶酔ダンシンで反応かます。。 バッキングをキープしてんのはピアノだけで、あとは、めちゃポリリズムで、ストイックな演奏。ブラス隊はまぁーありがちなフレーズが多いけど、ユニゾンからハモリに移るタイミングが絶妙。。ドラマーがすごい。ドラムセットを組んでるんやけど、ほとんどスネアを使わずに完璧なグルーブをだしてやがる。
  そーいえば、キューバに来て他の小屋で見たバンドってドラムにそもそもマイクが立ってなかったり、あっても、スゲェ出音を小さくしてたり、、そもそもドラマーがいなかったりして、サルサにドラマーってほぼいなくてもOKなかんじなんだなぁーとか思ってたのに、このバンドのドラマーはちと感激物だ。
これが、この国でどの程度評価されてるバンドかは知らんが、まったくもって4つ打ちのロックバンドがアホに思えてくる、。AC/DCは好きだけどね。
1曲がやたらと長い。っつーか、曲の変わり目がほぼわからんっかたり。ザッパのバンドにも通じるよーなボーカリストのバンドに対する強引な駆け引きがよけーに客を煽りまくってる。。。すげ
ステージの前線に客のビア缶がめちゃたくさん積みあがってく、オー。それを蹴飛ばし半裸の女ボーカルが、ステージ下のウーハーを客席の床を揺らしてまぐわりついてくる

    ってな、ステージもそのうち終わって、うしろのほーに座ってたらいろんな人が寄ってくる。。。。大抵は「アミーゴ!タバコをくれ」とか「オーアミーゴ!一杯おごってくれ」とかの人間達だけど、ちょっとオモロイのもいたりして「ヤーヤーアミーゴどっから来た?」「じゃぱん」「ホーアミーゴ来年のサッカーはTOKIOやぽんだぁ!」あ、そーいえばね。「なになにフットボールが好きなんか?」「俺はローマの中田が大好きだゼ、奴は最高だ」おっそーくるか、、といって、キューバのサッカー選手は思いつかない。

朝の5時。ところで、これ、近所のホテルのバーで書いてる。ここのバーは24時間営業なのだ。「ハバナクラブをストレートで」っつったら毎回オモロイ顔されて楽しい。。地酒はウマイ。っつーか、バカルディってもともとキューバだったって知ってたか? なんか、革命の時にバカルディ家の人たちがどっかに亡命してって、キューバに残ったのをハバナクラブって名前に変えたらしぃぞー、。ま、別にどーでもええが、っつーか これ ま、いつ送信できっかわがらんが。

101/09/12(Wed) 05:08:43

  んなこんなで、起きたら昼過ぎ。
とりあえず次の宿を探しがてら食事をtっと思い、てきとーな露天バーへ。
甘ぁいアズキと、サフランライスと、肉のパイナップル炒めみたいなのが合わさったみたいなのを食べてたら、その店に流しのサルサバンドがやってきた。 ギター×2&パーカッション&マラカス&ウッドベースの5人編成なんやけど、そのギターの1人が、なんつーpか、見た目ふつーのガットギターに鉄弦はって、その6本の弦を2本ずつまとめて、いわゆる12弦ギターの6弦版みたいにして弾いてるんやけど、それがめちゃうま。。。そのフレットの上のホーといちばん下のほーと真中くらいに、やたらと離れた3ヶ所の弦をスサマジィすぴーどで行ったり来たりしつつ、すげぇボリュームを奏でつづけるのだった。
 カリブの音楽ってでんでん詳しくないんやけど、これって普通なんかなぁーぁぁぁぁぁxとか思いつつその店出て歩いてたら、となりのバーのギタリストも同じスタイルでやってた、、、、、その世界では普通なんやろか。やっぱしb

モロ要塞の灯台に登って、ハバナの町並みを、そして、海に差し向けられた錆びた大砲の数々を、、、かつては海賊水軍やイギリス海軍に向け撃ち込んでたんだろーか。

ドミニカ行きのチケットを確保する為、革命広場からウェボウェボに乗って、Habana Libreのツアーオフィスへ。。 んが、ドミニカ行きは次の木曜日までフライトが無くて、しかも帰りは予約できないっつー、なんだ、住めってことかぁ? tっつーか、今回は時間が無いのだ。たぶんもぉーそろそろモドレェ!のメールが来てるころかもしれん、あと、2週間位が限界かもっってなタビなのよ。。。。ん〜やっぱしジャマイカにしよーかなぁとか思いつつ、近所のカフェに入ってアイスコーヒーをたのんだら、エスプレッソと氷が出てきた。

101/09/12(Wed) 05:06:28

ケッキョクきのーは朝まで歩き回ってしまった。
なんか暗闇にライトアップされた巨大ガラスケースの中にボートが現れたり、戦車や戦闘機や大砲がおいてあったり、ん〜愉快だ。宿の場所もよかったかもしれん。
でもでもなんだろぉー、この街は・・・・
始めてきたとこの深夜にしては、なんだかまったく威圧感のない不思議な街だ。。。
方々にポリスマンが立ってるんやけど、マニラのよーに銃を構えてるわけでもなく、、路地の暗がりに入り込んでもカルカッタのよーにションベン臭いわけでもなく、、通りすがりの人間が上海のよーに下から睨みつけるわけでもなく、かといって、ウブドゥのよーにやたらと陽気なわけでも、ハノイのよーに陰気なわけでも、マラケシュのよーにうるさいわけでも、ビェンチャンのよーに静まりかえってるわけでも、、、、、、、、無い。かといってそんな普通っつーわけでもないよーな。   なんつーか、余裕があるのだ。
そーいえば、話しかけてきた連中はたいていやたらと自分の街、自分の国のことをナイスだろぉとか、グットだグレートだとかほめまくる。。自分の私生活の苦しさを一方で嘆きつつもね、。そぉーーんな、希望だけがある国なのかもしれん。
   やーいかんいかん、ひと晩でそこまで決め付けるのはどーかと思うけど、なんか、そんな感じの国なんだろーなぁ、きっとね。

101/09/12(Wed) 05:04:07

で、出歩いてみる。
ホテルの前はいきなりデカい公園で夜中なのに人がウジャウジャいる。。テキトーに歩きまわってからホワイトハウスみたいな旧国会議事堂の前あたりで座り込んでたら、きたきた、「ハロージャパに・・・」てきとーにあしらってたんだけど「今日はナイスな夜だ、昨日は雨だったから今日は人がたくさんいる」「俺はそこの葉巻工場で働いている」えぇっ、そこっつったらパルタガスぢゃねーかほんまかぁ、「朝8時から夕方5時まで毎日働いてひと月20ドルにもならないんだ、ここの国はまったくサラリーが低くてまいるぜ」ってそんなもんかなぁ。。。
 「ともかくフレンドになったしるしに一杯やりにいこー」って、はっきりいって、僕は知らない人についていくのは嫌いぢゃない、それがたとえハメラレてるってわかっててもね。。「どこにさ」「チャイナタウンにいい店があるんだ」っってなわけで、ついて行った。
  たしかにチャイナタウンは近くにあった、んだけど、そこを通り抜けて暗い路地をえんえんと歩きつづける。。。。歩道っぽいとこを歩いてると、暗がりから女の手が僕の後ろ髪をなでてたりして、なんだかダイジョーブかぁ?ってなかんじだが、ともかくついて行っって歩いた先の下に黒い男が2人椅子に座ってて、彼は軽く挨拶。 で、その横の階段を上がっていくと、ドアも無い2階に真っ赤な照明のBarみたいなのが登場・・・きたなきたなぁー。
 「どだ、いいとこだろ。ハバナは最高さ」なぁーんて勝手に言ってる。「モヒートでいいか?」ん、ちょーど飲みたかったとこだ。「ええよ」「この店はドルぢゃないと払えないんだ」はっぁー、僕に払わそうとしてるな「え?いくらさ」「安いやすい2ドル位さ」ま、いいか、、モヒートを2杯注文してたら「タバコをくれ」ってせがまれて、灰皿もない店で吸いはじめた。
  キューバ人のIDカードを見せられて俺を信用しろだってさ。「ともかくハバナは最高だ、今夜はフレンドに出会えて最高だ」とかなんとか言ってやがる。「どこに泊まってる?」「ホテルプラザだ、でも高くてもぉー出ようと思ってるんだけど、どっか安い宿しらない?」「それなら俺の家に泊まりなよ、1日20ドルでOKだ。友達価格だ安いだろう」ってどーだかなぁ。。。。「俺の作ってる葉巻は1箱US$150-もするのさ、高いだろう?、でも、君はフレンドだからUS$50-でゆずってあげるよ。明日俺の家に来たときに買ってくれよ」とか言うんで、いちおー「でもホテルは2泊分払ってあるからさぁ」とか言ってみたりして「ぢゃ泊まるのは明後日からにして、ともかく今、俺の葉巻を買ってくれ」あぁあぁこれかぁー、それが目的だったのかぁー。
「ともかく僕は眠いんでホテルに戻るよ。ぢゃね」っつって彼の分のモヒート代とあわせて6ドル置いて、店を出てった。
  奴はしつこく着いて来たけど、「ウるせぇ帰れ」とか言ってやったらそのうちいなくなったのだ。。

それからも、しばらく、ただ、歩きつづけて、気が付いたらオビスポ通りに、。Hotel Ambos Mundosの前を通ってフエルサ要塞から運河の向こうにモロ要塞が見える深夜2時。シャワーに戻ってきたけど、もっかい下へ降りてみようー。なんかこのへん24hバーとかたくさんあって、、きょーは寝れんかもしれん。。。ぢゃっ

101/09/12(Wed) 05:02:43

いんたーねっとカフェのねーちゃんと別れをおしみつつHarbour View Apartmentのおっちゃんに別れを告げ、赤のFordでOwen Roberts International Airportへ。。
ボーディングを待つあいだ男のトイレでやってるとこへ、ゲバラの似顔絵入りベレー帽をかぶったチョビひげのおっちゃんが隣りにやりにきた。。。。「ハバナに行くのか?」「そーよ」「2回目?3回目?」「1回目よ」「そーか、ハバナはいいぞ。キューバはいいぞ」男ならではの世界だ。ろーな
・・・36人乗りのCubana de Aviacionは、1時間遅れで搭乗を開始した。
 チェックインの時にいちおー「ウィンドウシートぷりーず」って言っといたんだけど、さすがはクナーバ航空。座席番号なんかは、なく、そもそも窓も非常ドア付きのが片側3つづつのみ、しかも、前の座席の背中を押すとバタンと倒れ、足を乗っけて寝ていけるよーな、シートベルトもあるよーなナいよーな、、カーテンの向こうは操縦席まるみえ、。軍事演習でもあるまいし、乗ったらスグに飛び立つ潔さ。。なぜか座席の横にコンセント。スゲェ暑い・・湿気だぁぁぁあと思ったら空中では寒くなったり。。耳が痛くなるくらぃウルせぇプロペラ機。耳抜きしないと鼓膜が破壊されそーな空調の危うさ。それでもいちおぉーファンタオレンジみたいなののさーブがあったかと思えば、テーブルからすり落ち短パンぐちゃぐちゃ、、、、、、、、、とにかく着陸したら拍手が起こったのであった。。
 と思ったら、
なんか、空港とは思えんよーな、なんつーか、ただの広場みたいなとこに降りちゃって、どーしたんだぁー、とか思いつつもImmigrationを越えともかく入国。
Customsを出たとたん半そでのカッターシャツを着たおっちゃんたちに囲まれて「たくしーたくしーどやたくしー」攻撃。
 ttっつっても、キャッシュがもぉ1ドルちょっとしかなかったんで「両替所はどこ?」ってポリスマンに聞いたら「もぉーしまっちゃたよ、明日銀行に行きな」って、どやってハバナに行けっつんだ。とか思いつつも、そーいえば、この国際空港にしちゃぁやけにちいさく、なにもない、っつーか、自分が乗ってきた飛行機の他にはセスナみたいなちゃんけなのが2機しかなかったし、滑走路以外ほぼ舗装されてないし、空港なのに両替所は閉まってるし、なんかおかしぃーなとか思いながらも「たくしーたくしーどやたくしー」っておっちゃん寄ってくるんで「銭がないのさ」っつったら「いよ明日で」ってほんまかいな、、「ハバナの街ン中までいくら?」「30USドル」「ひぇーえくすぺんしブだめだめ」「ぢゃ25ドル」「もっとまけろや」とかやってたら、さっきのポリスマンがやってきて「25ドルでいーぢゃないか」って言われて、ともかくそのタクシーに乗ることに。。。
 「ホテルはどこだ」「ん〜」「予約はしてあんのか」「してない」「OK、ぢゃ空港に行こう」って、ここは空港ぢゃないのかぁー、とか思ってたら、、やっぱし、タクシーで少し走ったとこに本物のホセマルティ国際空港はあったのだ。。 なんつーか、台湾の飛行機が羽田の離れに着くよーな、そんな、イレギュラーな空港だったのら。

本物の国際空港わきにタクシーを止め、空港地下のインフォメーションっぽいとこに、タクシーの運ちゃんといっしょに行く「ここでホテルを予約しな」「ん」。。
 「どんなホテルがいいですかぁ?」「ダウンタウンの安いとこ」「ぢゃUS$75-のとこがお勧めね」「え?高いんぢゃねぇか」「いやいやほんまお勧めのよいとこね、今し払ってくれたら予約しちゃるよ」夜の9時近くだったし1泊くらいならエエかぁとか思って「OK、でもキャッシュ持ってないよ」「え?ダメダメね」「だって言ったぢゃんかぁ」ってタクシーの運ちゃんのほーを見ると、ホテルインフォメーションのおっちゃんは「1階へ行こう」ってなかんじで、けっこーデカイ空港。。やっぱ1階には両替所があって「ほら、なぁ」とか思いつつもTCをキャッシュに交換して、US$75-払ってタクシーに戻ってそれからドライブ、、、すげすげ、闇夜のハバナをぐんぐん飛ばしてくぅ、、なんか暗闇の道路に人だかりがあったり、なんだりm、とかしつつも、シフトレバーの下をみたら、MONTERREYとかっつぅタバコらしきものが・・・「めいあいすもーく?」「お、いいよいいよ」って、「さんくす、1本ちぇんじしよ0−」っつって、僕のマルボロを1本やって、そのMONTERREYを一服、、、、、、、ウメェ! なんつk−かほのかに甘いその、ケイマンで吸ってたPARTAGASの葉巻をさらに凝縮したよーな、ま、気分もあるかもしれんが、「僕のマルボロと箱ごと交換しよー」っっつったら「いやいやUS$2-でええよ」って、どーなんだぁ、まだ、それが安いのかどーかワガランのだ。「だめよぉ、ところでこのタバコ、ハバナぢゃいったいいくらなんだぁ?」「2ドル」・・・・ほんとかぁー、とかいいつつ、暗闇をひたすらドライブしつつも、ハバナHOTEL PLAZAに着いちゃったり、、、。なんかm、このタクシーの運ちゃん、おもろい奴だ。ま、気分もあるかもしれんけど、。約束のUS$25-を運ちゃんに渡し、、それから、乗ってた助手席にUS$2-をそっと置きMONTERREYを1箱もぎとった、。。はははぁー、しぇいくはんどの抱擁だぁー。
 HOTEL PLAZA、高いなぁーとか思ってたけど、値段以上にいいよーな気もするsixi、。よーわからんが、えぇぞーーーーー。なんかちょーしにノッてきたぞぉー、。ってな422号室、。 さ、これから社会主義の街へ出撃だぁー

(- 101/09/12(Wed))