Phnonpenh MODEL 1998 TOUR EtoJ Diary
by kotobuki hikaru

Tue Jun 16 18:21:07 Japan 1998
昨日はなんか血だらけにmなった。密集する客席に落ちたりしつつも、ダメオシのアンコール3発。またロックなステージをやってしまった。マルタくんはイキル復活のよーな動き、ぶつかるぶつかる、なんか水とか撒き散らしてる、ギャー、懐中電灯で怪我人はでなかっただろーか。CLUB QUE、印象に残るLIVEになった、たぶんEtoJ最高の演奏だったと思う、。終演後は楽屋でメールでしかやりとりしたことがなかったいろんな人に会えてうれしいかんじ。2D or not 2Dとかの時期のバイブルだった「プラニバース」って本を編集していた石原さんにも会えて感激、ACunitの有島さん、キーボードマガジンの永島さん、加藤ケンソーさん、あといろんな人、来てくれてありがとー。
ともかくツアーは終わった、ツアー日記もこれでおしまい。じゃ、またね
Mon Jun 15 12:59:20 Japan 1998
いま起きた。札幌メッセで僕らがセッティング中にマルタくんがゲスト出演してきたFM番組三角山放送局「のどうたトライアングル〜世界音楽めぐり」でDJをしているTARBAGAN嵯峨治彦さんのホーメイCDを聞きながら新谷成唯さんのまんがをみせてもらう、こわい。、歯みがいて、コーヒー飲んで、下北沢だ。
Sun Jun 14 16:35:09 Japan 1998
下に書いたチケット状況は”たぶん”だから、ほんとのはCLUB QUEに聞いてくれ。ともかく明日は最終日だ、いいかんじのステージ見せるからみんなこい、。羽田モノレールから命令だ。
Sun Jun 14 14:27:54 Japan 1998
なんか不穏な噂がでてるみたいだけど、CLUB QUEは店売りが100番代から、チケピ売りが200番代からのはず(たぶん)だからダイジョーブ。とーぜん当日売りもでるよ。くわしくはCLUB QUEまで。
Sun Jun 14 13:50:09 Japan 1998
札幌メッセホール、契約書には「オールスタンディング禁止」と書かれてたらしーがかまわず椅子なし。会場入口のドアには「ジャンプ禁止」のフダがさがってたらしーがとーぜんジャンプしどーし、。モニターは今ツアー最高の出来。1曲目でギターの弦が切れてももちろんかまわず続行、ガーッっと終わってからは朝っつーか昼までススキノ。
ちょっとだけ寝て次の日、小室治夫さんの店「はるや」で朝昼食してると、ぐーぜん三上さんが現れひさびさの再開、最近は細野晴臣さんらといっしょにやったりしてるとかの話しをしばし、メリィさんとハッチャキはそのまま千歳に向かって帰京。僕とマルタくんは昨日のメッセホールを仕切ってくれた阿部ちゃんが札幌8号倉庫時代の友人、津脇や新江ちゃんらとやってるサルサバンドをベッシーホールに見に行く。そのあとまたススキノ。その昔、あがた森魚さんの札幌公演の打ちあげを3日間寝ずに続けたことをちょい思いだしつつホテルで爆睡。
で、ここは千歳空港のレストラン。海鮮焼麺を注文したとこ。今日の夜はワールドカップ、明日の夜はCLUB QUEだ、。まってろよ、ナイスガイ&ナイスガール。
Fri Jun 12 12:58:22 Japan 1998
羽田から千歳に行くときはけっこーいつも「ジェットストリーム」を楽しみにしている。今日はラサのラジオドキュメンタリーみたいのをやってていつもながらすげぇ内容だ、マルタくんも隣の席でおなじのを聞いてるみたいで、同じタイミングで苦笑しちゃって苦しくてたまらん、2人であのニヒルなナレーションまね練習をしつつも千歳着、。レンタカー屋に向かってるとこ。
Thu Jun 11 23:49:44 Japan 1998
で。、とうきょーの宿に着いたとこ。 大阪よかったよ、ひさびさのミューズはモニタ−もええかんじで、名古屋もそーだったけど日本語通じる女のエンジニアですばらしいできばえ、出音はわかんないけど。なんかどいつ以来みんなしゃべりなれしちゃったみたいで、客席じゃほぼ聞こえないと思おーけどけっこーステージじゃ曲中でもべらべらなかんじ、メリーさんの朗読も絶好調、マルタくんの振るえもとまんないってな調子か。アンコールやるつもりじゃなかったんだkうぇど結局2回やってしまった。その直後にハッチャキは夜行バスで帰京するってなかんじで、ぼくら3人は翌日ゆっくりホテルから9時間かけて高速降りるってことだったのだ。
明日は6時に起きて札幌行きだ。
Wed Jun 10 12:39:43 Japan 1998
ここは車の中。東名坂自動車道、みんな疲労・寝不足はずっとピークのまま、言語障害まるだし、会話がおかしくなってきてる、イタリアオムニバスの打ちあわせをするが、言葉が通じない、なぜだ。。梅干し昆布くわえてニールヤング。ダイエースプレーが切れた、やばい。ユンケルも切れた、もっとやばい。歯磨きガムと牛乳は仕入れた、サイコーだ。マルタくんは横でキーボードスペシャルの原稿を書いてる、メリィさんは地図を熟読してる、ハッチャキは山高帽かぶってハンドルにぎってる。今日も仕事だ、わかってるだろーな・・・・じゃ。
Wed Jun 10 1:55:08 Japan 1998
なんかわからんがしこたまのあと、あまのさんありysとー じゃ、またあしたああ
Mon Jun 8 21:54:43 Japan 1998
ハングルのロックをヘッドフォンで聞きながらぐっすり眠る、ものすごく変な音楽、。新宿まであと50分。
全てのマネキンに水泳帽を被せたカバン屋、全てのTシャツに電池を埋め込んであるスペーステクノショップ、全部ゴムでできてるインテリアショップ、全ての靴底がブラックライトで光るブーツショップ、、ひさびさのロンドンもこんなかんじだった。、起きたらすぐ名古屋行きだ。
Sun Jun 7 19:17:16 Japan 1998
5年前の夏、長く続いた自民党政権が倒れて細川が首相になったその時、僕はプノンペンにいた。初めてそのニュースを英字新聞で見たときは信じられなかった、国連PKOでタケオに駐留していた日本軍の兵士が「これで日本に帰れなくなった」と話しかけてくる、、、9月に帰国、その数日後プノンペンモデルは初めて世に出ることになるのだが、。あとで知ったことだけどその同じ夏にマルタくんはチベットに、メリィさんはサイパン?に居たそーだ。
ここはオックスフォードサーカス、ホテル最上階のレストラン。Eから送るメッセージもとりあえずこれが最後だろー、明後日は名古屋だ。
Sun Jun 7 0:53:31 Japan 1998
巨大フルーツポンチ缶詰の中身をとり出して、その空缶でお湯を沸かす。アムスキャンプ最後のコーヒーだ。ベルリンで仕入れたトランクを引きずって空港へ向かう、僕はひと足早くロンドンへ、マルタくんは船でドーバーを渡るそーだ。
アムステルダムの空港は拡張工事だらけで、ハブ空港でもねらってんだろーか、、一方で日本をとりまく海底にはこーしてる間にもぶっといネットワークケーブルを張り巡らせてるハズだ。どっちの工事が次の時代により役立つのか、それともどっちも土建屋がよろこんでお終いなのか、。インターネットは確かに便利な道具だけど、ぜったいに必要なもんでもない。情報産業がGNPを支える社会が健康なもんか、デフレ・失業・少年犯罪、これが国際化っつーものなのか、。
Sat Jun 6 2:45:12 Japan 1998
セックスとドラッグの国オランダ、売春・マリファナはもちろん合法。キャンプ場の中もいいにおいなかんkじだ。昨日の夜は暗く隠微でマラケシュのメディナのよーな飾り窓のねーちゃん街を潜りぬけ、奈良さんにバツグンのチャイニーズフードをがっつりごちそーーになって完全復活。喉に刺青をしたストリートミュージシャンとガンジャ外交。 Stedelijk Museumにモダンアートをチェックしにいったらアラーキーさんの巨大写真群を発見、いろんなとこのディープな部分を知るにつれよけーに、東京のアバンギャルドが断トツなんじゃないかと思えてくる、ほんとにそーかもしれん、
短パン・アロハでフランクフルトに降りた僕だったけど、移動するたびに重ね着が増えている。「ドントトラスト長ズボン」が合言葉fだったのに、ここじゃメリィさんの南の島好きもよーわかるかんじ。アジア山岳派のマルタくんに対しアジア都市派っぽく言われる僕だけど、実際プノンペンの政情はどこにいてもなんとなく気になる、まー気にしたってどーなるもんでもないとおもいつつもキャンプ場の夜はふけるなり。
Fri Jun 5 2:26:54 Japan 1998
昨日はアムスに着いてからどーしてたかっつーと、てきとーに食事してからたまたまなんだけど、アムス在住の奈良さんから「今日の夜”渋さ知らズ”のステージがあるよ」ってなことを聞き、川向のジャズクラブBIMHUISへ渋さシラズを見に行った、ほんとに日本人40人でやってる、スゲー。 「40人もいりゃ何人かは知り合いのミュージシャンがいるってもんだ」っつーのはマルタくんの意見だったが、そのとーりで、しかも僕の学生ん時のちょい知り合い勝井くんがバイオリンを弾いてる、知らなかった、しかもこれ10年もやってるってゆー。これからどーすんの?って聞いたら「明日の朝7時にスロベニアだかに発つ」だって、ひぇー、さすがだね。
ところで僕らどこに泊まってるっかっつーとキャンプ場、いちおーこっちでのメ インの仕事は終わったんでマルタくんも喉がツラクなってくてるしちょっと静養モードにしよーってwことになり、キャンプ場のバンガローみたいのを4日間借りたのだ。ここを拠点に若干の仕事をこなしつつ、これからしばしアムステルダムを自転車でストレッチってかんじ。
Thu Jun 4 8:11:36 Japan 1998
ベトナム移民街のホテルからEtoJのEパート最後のステージFLECHE D'ORへ向かう。そのLIVE、プノンペンだけじゃないと聞いてはいたが、行ってみるとなんとプノンペンモデルの他に40バンドが出ると言う。ただしサウンドチェックを事前にできるのはプノンペンモデルだけで食事、楽屋なんかも別格の扱いになってる、MCの人によると「夜の9時から1時間演ってくれ、プノンペンが終わったらあとの40バンドは5分ずつにするからゆっくりでいいよ」だってさ、、、。
サラヴァポポクラシコのまみちゃんが見にきてくれて、演奏が終わってからまみちゃんの友人サラヴァ関係の人達といっしょにタクシーでbar行ってグビグビ飲んでたら、binbou tower(ドラジュビスのドラマー フランクが経営してる日本のアンダーグラウンドカルチャーショップ、もちろんパリにある、もちろんPATCHWORKSもそこで売ってる)に行こうぜってことになって、夜の12時すぎくり出すことに、、フランクに鍵を開けてもらってbinbou towerとその奥にあるキチガイバーで憩いのヒトトキ。あーおもしろかsった、でも明日は早い、、
けっきょく昨日の朝パリに着いてそのままLIVEを1発、パリ滞在24時間弱にて僕とマルタくんは今日の朝10時アムステルダムへ出発、メリィさんはまだベトナム移民街のホテルで寝てるはず。メリィさんはそのままパリから帰国して、僕とマルタくんはオランダでもろもろの打ち合わせ後名古屋の前日にロンドンから帰国の予定。
ところで新通貨ユーロのことにはみんなあんまり興味をもってないみたいだ、そもそもユーロのことを知らないドイツ人フランス人もかなりいる、っつーか僕らの友人が偏っってんのかもしれんが、中国のFECが突然なくなった時、僕はすごくびっくりしたんだけど、その時も中国人にしてみりゃたいしたことっじゃなかったんだろーな、。この5年位の間にJ¥のレートにもかなりの変動があったけど、日本のものを外に持ち出す立場としては今くらいがけっこー実力どーりのよーな気がしてきた。
いまアムスに着いたとこ、
Tue Jun 2 1:23:12 Japan 1998
EIMERのビデオエンジニアピーターと諸々の打ち合わせ交渉をしてアジトに戻ったとこ。ベルリンEIMERのLIVEは帰国後チェックしてビデオ発売するかもしれない、プノンペンのLIVEなんだけどドラッグムービーみたいなのになるかも。僕はこれから5分後に迎えにくるマークのメルセデスでベルリンツォー駅に向かいパリ行きの電車に乗りとこda
Mon Jun 1 11:16:46 Japan 1998
朝11時ベルリンの旧巨大ポストにてサウンドチェックスタート。ドームっつーくらいで、PAのアンビニエンスがものすごいことになってる、協議の結果今日は3人で演ることにする。
きょーはよかった、ものすごくよかった、。いろんな国の若い前衛アーティストが集まって数日間に渡って行われていたフェスティバルの最後を飾ったのはプノンペンモデル。ポストのセンタードームで夜の12時すぎ、超満員演奏スタート!、アーティストの祭典らしくエンジニアも客もなんか大人っぽくて、ダンシンもベリークール。なのにブレイクの瞬間はすべて狂気の歓声、、めちゃめちゃうけてるし、知的な反応が僕らをそそる。演奏が終わって引っ込むと、すごい歓声が聞こえてくる、、アンコールやるつもりはなかったんだけど、でてって「泥棒の歌」を1発。楽屋にもどって着替えてるとスタッフがやってきて「もう一度でてくれ」と頼まれてもモーくたくた、「どーしても」ってゆーんで、3人でステージに出てって挨拶だけやったんだけどものいすげー反応、。自分でも満足のいくすてーじだったし、ま、よかった。
終わってから楽屋にはこのフェスティバルに参加していたいろんなアーティストが挨拶にくる。みんなグレートとか言ってくれてうれしい。中でもあの放電板のインスタレーションを作った作家バスティアンが感激してくれたのが僕はいちばんうれしかった、、、。
ドイツじゃそろぞれいろんなサウンドシステムでやれておもしろかったよ、中でもやっぱり今日がダントツfだな、明日(今日)の夜はパリ行きのでんしゃだ、おやすみ
Sun May 31 11:55:04 Japan 1998
カミナリの音で目がさめた。夕方クリストフがプノンペンのアジトに登場「どーしても外せない仕事が入ったんで、サウンドチェックでは君がドラムを叩いてくれ、夜12時半までにはぜったい行くからドントヲーリー」。8時すぎにEIMERに入るとロビンが巨大な紙を持ってやってきた、「プレゼントフォーユー」。その巨大な紙には今日の朝刊の写真入りプノンペンノ記事をめちゃめちゃ拡大して刷ってある。おなじのを入り口のドアにも貼ってくれてる。
夜中の2時、ベルリン2発目のライブスタート。客はこの時間がピークらしくてベルリンのクラブでは普通らしい。柵に囲まれたステージから下を見下ろすと踊り狂う人間の群、、柵の周りにも人間が張りついてる。ドラムの中当てモニターのツイーターが飛んでて満足な演奏じゃなかったが客の気持ちまではわからん、。わめきがひかないんで今日はアンコールいちおー1曲、フリーでやってやった。ステージが終わって帰る途中CDにサインしてくれと寄ってくるアングロサクソンの群。てきとーにあしらってロビンに挨拶、「ポリスのコントールが厳しくなってて、EIMERもあヴない。ベルリン市警はニューヨークに人間を派遣してもはやニューヨーク市警のようになりつつある。気をつけろよナイスガイ」。ありがとうEIMERまたくるからな、。
明日は午前11時からポストのサウンドチェックだ。
Sat May 30 11:07:35 Japan 1998
いまステージが終わって帰ってきたとこ、。なんか夜8時からサウンドチェックの予定だったんだけど、エンジニアがこっちに向かう途中のってたバイクがパンクしたってな電話が入って待たされることに、、それでもロビンは「ドントヲーリー、ノープロブレム。2時間押しでいこー」ってすっきりなかんじ。ちょい遅れでエンジニアが現われて、サウンドチェック中モニターにもんくつけると、エンジニアは上にあがって、なんかえんえんとハンダコテ持ってケーブルつくったりしてる。客はいつまでももんくも言わずに待ってる。
ともかく夜中の1時すぎから3人編成プノンペンモデルベルリンLIVEは始まったのだ。ま、客はジャンキー中心ってとこか。マルタくんは歌いながら客席におりて客の耳元LRにチベタンベルを振っている。なんかよくわからんうちに終わって上の楽屋にあがってぼーっとしてると、下のフロアから拍手とか歓声とか,よく聞くと「アンコールやれ」とかわめーてる。ちょっと降りていくと「ユーアークレイジスト」とかいわれたりして客はさわいでるんだけど、アンコールはやんないことにして即時退散。 れーによってマルタくんはロシアのノイズレーベルの人とCDを交換したりしてる。韓国のラブパレードを見にきたとかゆーミュージシャンはなんかよくわからんが「グレート、ナイスミュージック」とかいって興奮してる。メリーさんのことを本気で女だとおもってるドイツ人もいるみたいだ。
ともかく酸欠ぎみなんできょーはここまで。
Fri May 29 3:28:17 Japan 1998
マルタくんは「自分ちの留守電4件聞くのに公衆電話6マルク半だぜ、しかもカード電話はパルスでコイン電話がトーンとはどーゆーことだ」といってもープンプンだ。で、僕はEメールだからいいのかっつーと、カシオペアのACアダプタを忘れてきた為、秋葉原で仕入れてきた1本300円のリチウム単三乾電池がものすごい勢いでなくなってきてやばすぎる、。こっちでリチウム乾電池入手はほぼ不可能だし、アルカリ乾電池じゃパワー不足だし、残りすくない電池配分さてでーするかっつーこといいながらつなげてる、。てかんじ
ベルリンはおもしろい
Fri May 29 2:40:36 Japan 1998
現地調達ドラマー‘クリストフ‘とのリハーサルが終わって帰ってきたとこ。クリストフはパリが長かったらしくてフランス語なまりのドイツ語でこっちは日本語だけど芸人同士にゃ(ほとんど)言葉はいらない。コミュニケーションはバッチ具ー。ほぼ一発通しでリハ終了。あとはなんでだかEIMERのロビンを交えてブルースセッション大会、、、、。金曜日のステージは3人だけで、土曜日はwithクリストフ、日曜日はwithダニエルで演ることにして打ち合わせも終了。あとは暗くなるのを待ってクラビングってことにしよー。
なんかベルリン在住の旧友ゆーちゃんによると「パリはベルリンよりがぜんナショナリストが多くて外国人はいずらくなってきてんのよ」ってことらしー。
Thu May 28 10:34:29 Japan 1998
打ち合わせにEIMERに行ってみるとオーナーのロビンがいない、なんと今日になって突然EIMERを来週火曜日で閉鎖するようにと市側から勧告されたとのこと、。なんのことかと思ってたらベルリンは首都機能移転に伴い街をきれいにする方向で動いてるらしくて、EIMERは既にベルリン最後の超イカレたクラブになってるらしい。、プノンペンモデルが最後で閉鎖か、とかじょーだんなよーななんなよーな話をされつつEIMERのボディガードセキュリティーに内部を案内してもらうが、たしかにいかれてる。なんつーか東京ではぜったい見たことがないよーな、ケバついて入りくんだ異様な内装と気が触れたとしか思えないよーなステージセット。 プノンペンにはここの金曜日は2階で、土曜日は地下のステージで演奏してくれとか言ってる、。客はその柵で囲まれたステージの周りとさらにその地下から見上げるような形で配置されるらしい。なんかよくわからんがそのボディガードはプレーヤー2台にアナログ板を乗っけると、ヘッドフォン無しでブッ飛んだDJをかましつつ説明を続ける、、、。ともかく夜の12時過ぎにロビンが来るからその時にまたっってことにして、次の打ち合わせ場所旧ポストオフィスに向かう。
会場内に展示してあった放電機のインスタレーションを試してみたけど、これがすごい、。なんなのかっつーと、吹きぬけのデカイドーム内に強電装置が溶接されまくってて、スイッチを入れると爆音と共にドーム内に稲妻が走るみたいな強力な装置なのだ。なんのためにだれがこれを、、、、。
別の会場でやったダニエル達のパフォーマンスは異様なものだった、これは説明することすらできない。
その後EIMERに戻ってロビンと打ち合わせ、黒い巨体にネクタイを絞めたロビンが言うには「知ってのとーり役所回りとかでめちゃくちゃで迷惑をかけた、明日からは最上階のリハーサルルームを自由に使ってくれ、当日は客がたくさん集まるように新聞社にも君たちの写真を送っておいたから安心してくれ」とのこと、ギャラ交渉が合意したところで、あとは雑談。ロビンは死んだヒデの友人だったらしい、と言うかキリングジョークのベーシストがロビンの友人でヒデが去年ロスでレコーディングしていた時にキリングジョークのベーシストがプロデュースをしたらしくて、その時にロスでヒデと仲良くなり交流があったのに「なぜ突然死んだのだ」と、僕に聞かれてもそれは知らない。それ以前には当時ロスにいた布施昭のレコーディングに2曲提供したって、ゆーミュージシャンでもある。
ヒデが使っていたピックをさすりながらXjapanから布施昭、さらにギターウルフとプノンペンモデルと友人になれてとても嬉しいと、ロビンは言うがどーもミャクリャクがナゾだ。しかも本人はフレンチタンゴバンドでボーカルをとるブルースマンだと言っている。そのテープを聞かせてもらったんだけど、めっちゃソウルフルでたしかにイカシテル。 ともかく明日はまだ見ぬドラマーとリハーサルだ。チゥィーッス!
Wed May 27 23:34:40 Japan 1998
ここはベルリンの友達がやってるダンスカンパニーのスタジオなのだ。スタジオと事務所をまるごとプノンペンのアジトとして提供してくれたりしてええかんじ。
31日に僕らがフィナーレパーティーの最後のライブを担当する、フェスティバルの会場にいってみた、。そこは巨大な元ポストオフィスだったとこらしくて、巨大なビル内のそれぞれの部屋j部屋にさまざまなインスタレーション作品が展示してある、ベルリンは壁崩壊直後から世界中のさまざまなアーティストが集まってるらしくて、イカシタ作家やら舞踏とかのパフォーマンス集団とかにアーユープノンペン?とか聞かれて、わりかしそんなかんじ。29・30にやるラインブハウスEIMERのドアにはギターウルフのポスターの上にプノンペンモデルのポスターが貼ってある。、今日は夜7時からEIMERに行ってロビンと打ちあわせで、そのあとエレクトロニクミュージシャンのダニエルのパフォーマンスを打ちあわせをかねて見に行くってかんじだ。
Wed May 27 16:55:08 Japan 1998
赤ワーゲンからオペルのせだんに乗り変えてちょっち待ってると、ベルリンからマークが白のメルセデスで登場。
マークが運転するメルセデスにマルタくんが乗って、それを僕とメリーさんがオペルで追っかけるってかんじで、エアフルトを出たんだけど、マークはウインカーなしで2斜線ぶちぬきとかへーきなかんじで、なんつーか、ま、ともかく、オペルのアウトバーン5速ベタブミできっかし3時間、ベルリン。ま、軽くフェスティバル関係の人と打ちあわせしたりしてねよーかなってかんじだ。
Tue May 26 7:44:40 Japan 1998
今日はなんでだかカズコさんが日本語を教えているエアフルトの大学に臨時講師として招かれたんでマルタ君といっしょに行ってきたのypよ。、おもしろかったっつーかなんつーか、日本語の勉強になったね、ほんと。。最初はまーあいさつの練習からはじまって、なんでだかパッチワークスを教室でかけてくれて、紹介されつつ生徒の宿題を僕とマルタくんがチェックするんだけど、なんだか日本語の答えがわからない。いわゆる て・に・お・は みたいなもんってけっこーわかんなくてつかってんだなーって実感。。それでも学生はそこそこ英語ができたりするんでコミュニケーションにはそれほど問題なかったりしつつも、中にそこそこ日本語話せる生徒がいて「やるじゃん」っつったら「ん、徴兵の時にならったからね」とのこと、、。韓国とかもそーだけど、なんだか徴兵っていまいちそーぞーつかないよね、。
帰りによったカズコさんの家のまえはなんやあやしーな、っとか思ってたら「このへんはスキンヘッズがねらってる」からやばいってんで旦那があやしくないとこらへんまで送ってくれてそのままメリーさんといかさまチャイニーズレストランへ向かったのでした。
ちなみにこっちの身内で僕は「エアフルトの青い薔薇」と呼ばれてるのよ、、ただ僕が使ってる布団のがらが青い薔薇だったってことだけだと思うんだけどさ、、。あしたはベルリンだ。
Mon May 25 21:36:37 Japan 1998
さて、まだエアフルトここは旧東ドイツ。 なんかやっぱし西の街とはけっこー違うらしーが僕にはよくわからない。
次回のツアー?用に近郊のホール・ライブハウス調査なんかをしてるんだけど、いろいろあっておもろいよ。フェスティバル・ホール・ライブハウス・学生クラブ、、、、、。今回は「話しがあってから準備・当日まで2ヶ月ぐらいしかなかったんでエアフルトは1ヶ所だけのライブだったけど半年あれば、もっといろいろできるからこんどはもちっとよゆうもって来てよっ」て、いろんな人が言ってくれてなんかええかんじ、、、。 PATCHWORKSは香港からも追加オーダーが入ったみたいでええかんじなり。
Mon May 25 16:52:11 Japan 1998
そしてハッチャキは帰国してしまった。 きのーの夜はミヒャエルの実家に招待されていたので、車を運転して行ってみる。そこはなんつーかエアフルトの丘の上でミヒャエルのお父さんとお母さんが12年かけて自分達2人で建てた家だっつーことでっとっってもキュートなとこだったなあああ。ソーセージとか焼いてくれたりしてめっちゃうめええ。ちなみにここは夜の8時はん9時くらいまではばっちりそとも明るい、なんでだかわかんないけど、、お礼にそれぞれ演奏してうたっちゃったりして、でれへへへ。 フェスティバルの会場は広すぎてよくわかんなかったんだけど、僕らが演奏してた時は400人位の観客の他にキャンプ住人ってかんじっだったらしいいい。じゃ
Sun May 24 16:37:10 Japan 1998
いま起きたとこ。、いったい僕らはどこに泊まってるっつーかとゆーと、このフェスティバルの主催者でもあるミハエルのお兄さんの家でっっても、なんかエアフルトのド真ん中にあるビルの3階と4階の2フロアーを僕らに「自由に使ってちょーらい」って貸してくれているのら。けっこーすげーひろくて通信もここから持参したカシオペア+WORLD CONNECTでやってるのら。いまみんなはコーヒー飲んでるとこ。 きのーはおもしろかったなあああああ、なんか演奏はめちゃくちゃだったけど、みんな曲中でべらべらしゃべりまくって、しかも日本語で、なかでもハッチャキがいっちゃんすげーかytった、ドラムたたきながら、今回ビデオカメラマンとして同行してるハッチャキの弟に「もっといろんなとこで撮れよ」とかステージからマイクを通してべしゃりまくってて、最後にはドラムの上からドイツ語会話の本を取りだしなんかよーーわからんドイツ語をさけびまくってた。すげーいいぜハッチャキ。 マルタくんメリーさんもなんかめちゃくちゃしゃべりまくっててふへへhええええかんじやった。 そんなハッチャキも実はもー今日帰国で名古屋までしばしさいならなのだ。ベルリン・パリは俺達にまかしてくれ、ジャ。
Sun May 24 7:28:52 Japan 1998
なんだかすげーーーおもろいじぇ。 おわったよ、今回のツアー1発目5年振りのプノンペンライブが。
昨日空港から送ってくれたハンスは今日の朝はつごうが悪くなっちゃったんで、ミハエルの案内で僕が赤のワーゲンワゴンプノンペン号を運転することエアフルトから1時間弱。途中エリックバードン(アニマルズ)といっしょのページにプノンペンがのってる地元雑誌を見せてもらったり、ガソリンスタンドで道を聞いたりしつつも、ずっと奥の丘の奥の山の上にその会場はあった。フリーコンサーットっつーぐらいで、あっちこっちにフラワーでレイドバッカーな連中がわんさかうろついてる。てきとーにサウンドチェックをすませて、エンジニアにMIXについての説明を僕がしてる間もマルタ君はステージで客をあおってる、なに言ってんだかわかんないけど、すげーべしゃりであおりまくってるしなんでだか客も反応してておもろすぎる。 せーので音を出し始めるといろんなのが集まってきてなんかなんつーかとにかくすげーうけてる、曲間がないに、もかかわらずなんか歓声とかダンシンとかめちゃくちゃだ。メリーさんのMCもうけてる。 100人くらい?gaが主にコンサートを聞きにきてる客であとはテントを張りながらそこで生活してるってなかんじ。その中でも15人位が前で熱狂的に反応してるってかんじだなー。演奏が終わるとメンバーそれぞれサイン責め。マルタくんはお互いのCDを交換したりしてる。僕らの次の次に出るらしいミュージシャンのスティファン(ディッスン?ってバンドでうたとエレクトロリックシタールを弾いてる)が僕のMS20に興味をもって色々聞いてくるんだけど僕が買ったほんとの値段を言ってもなかなか信じてもらえない。ドイツでアナログヴィンテージシンセってのはどれもかなりの値段がするらしい。「やっぱしコルグ・ローランドを生んだ日本ってのはさすがにすげー国だなー」ってなことをさかんに言ってる。。地元の新聞にはプノンペンのことが写真入りで載ってたらしいな、なんかキャンプ張ってる連中にマルタくんが「俺達は日本から来たプノンペンモデルだ」って言ったら連中が「いやプノンペンはコリアだ」って言われたらしーいいい

で、今はそのマルタくんと近所のライブハウスでエリックバートン見てきた帰り。やーなんかすごかったな、ほんとちっちゃなふつーのライブハウスなんだけど、なんかええとこだなはあ。じゃ。またあした(かも)
Sat May 23 14:15:14 Japan 1998
ってなかんじで、チェックインカウンターのねーちゃんにぶつぶつ言われながらもなんとか発車にはメンバーみんな間にあっta、、、、、、、、きのーはひさびさにメトロファルスを見たんだけど、横川さんがダンシンしてたんでおろろいてちまったれですっよお。メリーさんはさすがってかんじだったけど、次の朝(今日)は買ったばかりのトランクの取っ手がはずれてボンドでふっつけてたのでした。じゃ。 nnnなんで、トランジットでおりたソウルでマルタ君はおみやげ用の海苔を仕入れたりすつつもとーちゃく。
フランクフルトの空港にフェスティバルの主催者が迎えにきてくれていて、赤のワーゲン時速180kでエアフルトmについたところだあー
Fri May 22 8:19:17 Japan 1998
なりたえきすぷれすより、、、、みんなねてる。しかもチケットうけわたしのやくそくじかんに1時間おくれてる。なりたについてるのはハッチャキだけのよーだ..たのむ、飛ばないでまっててくれへへへへへへへfuhe
Thu May 21 20:03:03 Japan 1998
ここは電車のなか。秋葉原でトランス仕入れて、メトロを見にいこーと渋谷にむかってんなのだあ。明日はあさ6じはんだあ。
Wed May 20 20:53:36 Japan 1998
機材調達のことで協力していただいたのは小田島大さんではなくて小田晶房さんでした。小田島大さん小田晶房さんごめんなさい。
でだ、ここは秋葉原の喫茶店。これから2回目にして最後のツアーリハなのだ。きのーも朝までやったんだけど、そのあとメリィさんとハッチャキは別プロジェクトのリハかなんかにいったらしい。ハッチャキはリハの曲間で熟睡してるくせにイントロがかかり始めるとものすげーいきおいで叩きまくりやがる、7年振りだがやっぱしおそろしーやつだ。じゃ
Tue May 19 18:36:34 Japan 1998
ただいま旭川空港内のレストランにて、オホーツクスパゲティなるらーめんみたいなスパゲティを注文したところ。これから都内某所にてリハーサルだ、急がねば,,,,,,,,,。ぬむい
Tue May 19 18:36:32 Japan 1998
ただいま旭川空港内のレストランにて、オホーツクスパゲティなるらーめんみたいなスパゲティを注文したところ。これから都内某所にてリハーサルだ、急がねば,,,,,,,,,。ぬむい
Sun May 17 19:45:05 Japan 1998
MECANOの中野さんとあと小田島大さんの協力を得てツアー用の機材調達開始。リハーサルまであと2日だ。
Sat May 16 19:25:51 Japan 1998
ただいま電子パーツ屋にてLED・ロータリースイッチ・コネクタージャックなんかを調達。これから楽器にアナをあけるのだ、いそがねば。
Fri May 15 22:30:02 Japan 1998
きょーはドイツの雑誌のメールインタビューだった、。なんかこないだは電話インタビューだったし、あとやったことないのはファックスインタビューと文通インタビューくらいかなあ。
Thu May 14 13:15:47 Japan 1998
そーかぁ、きのーはメトロだったのか。
自宅は7M専用線なんだけど、そとからはDION、ガイコクからはIBM netなのだ。ちなみにメンバーにはそのどれからも繋がらないのだ。まいったか
Thu May 14 3:22:11 Japan 1998
リハーサルまであと6にちだ、。CASSIOPEIAは今日も快調。
Tue May 12 19:57:10 Japan 1998
しってるひともいるかもしれないが、まだツアーははじmttってない。
Tue May 12 17:51:41 Japan 1998
ただいま、たんさん乾電池でどこまで通信できるかテスト中
Tue May 12 14:26:25 Japan 1998
それでどーだ。