超プノンペンな日々

  
     
8月10日
いったい僕は何処にいるんでしょ、プノンペンから車で約3時間、ここがカンボジアであることは間違いないと思うんだけど彼に聞いても「ここが何て街なのか分からない、でも前にも一度来たことがあるもんね。」とか言っているらしい。 そもそも声をかけてきたのは彼の方で「ねえ、何処に行くんだい?」ってな具合で始まって、「君はサイゴン行きのバスが、何処から出てるか知ってるかい?」「僕は知らないけど、僕の兄はヘリコプターのエンジニアだからキッと知ってるさ。」「は?」「今から兄のところに行くから、ま、僕の車に乗んなよ、兄の英語はカンボジアでもNo.1なんだ。」、、、、、、、、、。 とゆう訳で、その日以来彼(リティ)の兄とは会ってないが、リティとのつき合は三日目である。朝になると車でホテルに向かいに来ては一日US10$であっちこっちに連れてってくれるのだ、それもなぜか食事付で「今日は船を借り切っての昼食にしよう。」と言ってきたのだが、昨日は二千人が虐殺されたという建物の中を見に行った直後にキョーレツな食事をしたって事を思いだし、「昨日みたいにハエのたかったご飯は、もう嫌だよ。」「大丈夫さ、ハエだって船に届く前に川に落ちて死んじゃうさ。」「ま、そーかもしれん。」、、、、、となって結局、リティの友人を誘って3人でここまで来たとゆーわけだ。 なのに川とは言ってもホンとに小さな川で、そこの渡し船に乗っかって浮かんでると調理済みの魚や、果物なんかを積んだ小さな船が寄ってきては、指差したものをビニール袋に入れて渡してくれるってなものなのでした。それも船に乗ってる3人の位置関係はヒジョーに重要でして、そのビニール袋を取る為に体を乗りだそうもんなら船は大きく傾き、ほとんど言葉の通じない僕ら三人はただ馬鹿笑いを交わしカオスな食事を続けるのでした、、、、、、。「あそこの川辺にようやく立ってる家なら、安く借りられるようにクチ聞いてやるぜ、屋根はあるけど壁がないからジャングルの中でも快適だぜ、どうだい?」「ヤダネ」。、、、、、結局、未だにサイゴン行きのバス停は分からないし、鉄道の駅は鉄柵がかかっててドーも営業している気配がないし、ともかく明日は五反田駅よりも小さなプノンペン国際空港からシェムリアプに飛んでしまおう、"UN"マークの人達がいてくれるうちに、、、、、。   
     
8月11日
バンコクからプノンペンまでは、数えたら72人乗りの飛行機に乗客が26人だったんだけど、今日のプノンペンからシェムリアプまでのはもっと小さい軍用機みたいな飛行機で、乗ってからとーぜんの様にオーバーブッキングになっていて、遅れてきた人なんかは荷物の上に座ってるし、僕の隣は(たぶん一人分の切符しか買っていないんだと思うんだけど)おばさん一人に子供が四人で一つの席でして、そのうちの二人は僕の膝の上に乗ってこよーなんてしてるんだから、とーぜんシートベルトを締めなきゃなんて次元ではなく、操縦席はほとんど丸見えだし、プロペラが回りだすとエアコンの白い煙で前は見えなくなっちゃって、テーブルもないのに出してくる濡れタオルは、頭の上から落ちてくる水滴を拭き取るためのものなのでした。   
     
8月14日
今日は朝からタケオのUNTAC日本軍基地を見学に行ったんだけどこれが結構いい所で、自衛隊の人も「日本の基地にいるのと変わんないよ」とのことです。かなり広い敷地内には発電機、浄水器、テニスコートなんかが点在していて、タケオの辺りは治安も比較的いいんで、ほとんど毎日届く日本の新聞を見ながら隊員達は「嘘ばっかし書いてある」とか言ってたみたい。ほとんどの記者は取材に来たときの話をかなり大げさにデフォルメしてたんやなってなことが実際に見てみると結構わかるですよ、例えば隊員達が寝泊まりしている場所なんかは少なくとも個人旅行者が泊まっているようなホテルよりも数倍快適で、暑さもそれほどではなく、飲み水も十分に確保されているし、食料なんかもほぼ毎日フィリピン=シンガポール経由で日本の自衛隊機が運んでくるんで「生活するのに足りないものなんてのはまず無い」って言ってましたね。基地には北海道の部隊が配属されている為、これまでに数人の道会議員と数人の国会議員なんかが慰問に来たみたいで、僕らの前に来た人はアントニオ猪木さんだそうです。 基地内を案内してくれた小林さんって人によると「カンボジアでも北の方は危ないんで、シェムリアプも自衛隊員が休みの日に行ってもよい観光地のリストには入っていない」とのことでした。実際シェムリアプでは何度も銃声を聞いたし、バズーガ砲らしい重低音も聞いたし、ナイトクラブが停電になった時には死ぬかとも思ったけど、小林さんによると「自衛隊員ってのはかなり過保護にされていまして、旅行者のほうが危険な場所にも行ってるし苛酷な生活も体験しているんでしょうね、この基地にはおそらくカンボジア一の病院と生活施設があるんで、ここに来たフランス人の記者なんかは「タケオの日本軍基地がカンボジアの中で最も安全で快適な場所だ」と言ってましたよ。」とのことです。 実際、隣接している民家と見比べればそれは天国と地獄のよーで、車のバッテリーなんかを盗みに来る奴らなんかが結構いるそうですね。基地内には所々に自動販売機なんかもあるし、食堂で昼食を御馳走になったんだけど、米は日本から送ってもらってるそーで、やっぱりなかなかのもんだなあ.............   
     
8月16日
カンボジアとベトナムの国境で4時間待たされた、日本人はノーチェックって噂だったんだけど、僕だけは職業が気に入らなかったのか、めちゃめちゃ細かくカバンの中身を調べられちゃった。持って行ってた旅の友"DELL 320SLi"が見つかったらなんて言い訳しようかと冷や冷やしてたのに、売り子のおばさん連中なんかは勝手にボーダーを越えて押し売りに来るし、牛は人間に引っ張られてくるわけでもなく勝手に隣の国からやって来るし、武装した警備員がいるわけでもなく、そもそも国境の柵は100mもなく、すぐ横ではどっちの国の人なのか見当もつかないおじさんたちが、たんぼの畦道を国境をまたいで行き来している、ってな具合でして。そのわりには、バスの床を剥がしてまで調べ上げて、乗客のポケットの中まで覗くってのはナんざんしょ。 8月17日 え〜、プノンペンからバスで11時間半、国境を越えサイゴンまで来ました。カンボジアはなかなかキョーレツでしたね、。今日はサイゴンの近くのクチって街にベトナム戦争時代にゲリラが掘ったトンネルを見に行ったりして、なんか内戦と恐怖政治を巡る旅っぽくなってきて、照れちゃいます。 シェムリアプでは目を開いているのに眼球が入ってない人なんかを見かけたけど、サイゴンでは両足の無い女の子が下にコロを付けた板の上に自分の体を紐で縛り付けて「金ちょうだい」って両手にはめた草履で漕いで来るですよ。そんなのが、やっぱし色々いるっすよ。 カンボジアからベトナムに行くってことは、今地雷を埋めている最中の国から地雷を取り除いている最中の国へ行くって事でもあったりして、やっぱりベトナムに入ると安心しますよ。 ま、まあ、そんなことをしつつも果たして僕は、今月中にラオスに辿り着けるのでしょう.か。