ア人で、マカロニを作ったのは支那人だとゆーこの両面価値、りゃんめんで張合わせるド太いねくたい&駅舎のスクワッド。先週末でおわてしまたが(だいぢょぶ。マカロニ50周年はこの先5年は続く)ディ・モールトな指導者にお会いできた幸甚もってして、ぼくは意志の勝利を授かった。それはリメイクでもマッシュアップですらもなく、只管のカンチガイ←みっつしかない評価基準のまんなか→これが正しい採点法
「メソッド」←音楽であるか否か
「勘違い」←新しさを自覚しているか否か
「キビシさ」←リスク抱えているか否か
であり、そもそもぼくは100%パクリも良しとする。じぶんで書いた毛沢東のサイン売っても良しとする。パクったからダメなんぢゃなくて、モノがダメな場合ダメだからダメってことだよね。パクったかど0−かなんてすくなくとも作るニンゲンが考慮すべきことなんkかぢゃないし、べつにぼくらは権利の為にオンガクやってるわけぢゃないし、死ぬまでに100%まんぞくできるもんをいっこだけ作りたいってことだけがモチベーしょんになるわけであって、着目スベキは、善人ボンデージの畏敬故パクリはモチベーションにならんってこと。コピーレフトが実現してノンパクリフリーな世界がやてきたらなおさらやる気なくなるぢゃn。最もモチベーションから遠い反対の世界が自由の世界であり、だからこそ縛りのキツイ商業作品がニンゲン育てて、自由を与えた学校がそいつを殺す。学生の品質高けりゃ規制の必要なんてなくなるわけだから、お化粧がイコールそのヒトなのと同じよーに、自分に課せられた規制がイコールそのヒト(の民度)。ってことはだいぢょぶだとして、告訴や天罰を覚悟できんやつはダメマカロニの資格を共生的に授与される
RT @magical_yuni: 白人えらいというのは、潜在意識とかなんでしょうか
先人は完璧に欧米大尊敬的な誤解をもってしてぼくらをコントロールしつづけてきた。なんでかつと、偶像崇拝するんが最も変換能率の高い教育法だったからだよね。クロスロードのその彼岸な此岸はコンナニモか発展してブラボーな、とね。その目指すべき誤解のおかげで、ぼくらはパクリなんちゃらみたいな器のちっさいことは気にせんで発展を目指し「勘違い」と名付ける進歩と調和に驀進をみたってこと。それを描いたのが太陽の塔のその内側であってして、本物の偽物っつう見事なマカロニをくれたわけぢゃん。そだからまずは小分けする責任があるパクリ元を建築するとっからはぢめなきゃ。それはマカロニがダメだからってことぢゃトゼンなくって、その気にさせてくれるマカロニこそが善きマカロニってなことょxy






