、それはスポーツなのか?カーリングはいいとして、フリースタイルスキーは?。答えは縄文土器にある。
つまり、機能一点張りのものを作りたかった訳ぢゃなくて、縄文土器を作りたかった。
縄文土器というのは、使い勝手が良いというのを問題にしなかった。
私はこれを、器離れ - うつわばなれ - と言う。
by 小林達雄(考古学)
すごい、NHK。
器としの機能から離れてまでも、宇宙と交信しようとする。あえて不安定なものを作り、その中に神を呼び込み、進化を拒否し深化に挑む。グルメってのは、それぢゃn フィギア道である。より速く滑り降りるアルペン滑降は弥生式でしかなく、その斜度をもってして、より遅く降りたならば、それが縄文土器。オリンピックならば、雪山を上るところからタイムを競うべきだ。でないのであれば寧ろ土偶=道具にして
器っていうのは、器としての本領を全うするために追求する形があっていいんですが、それから離れていくんです。
by 小林達雄(考古学)
機能や効率の押しつけってのは、ときに暴力にして、癒しの押しつけは強姦とイコールである。
数年前になるけど、某地震被災地の避難民を癒すために、その収容所にオンガクをかけたいのだけど・・・・、と相談されたことがあってして、「例えばアンタは、もーつあるとを聞かせたいのか?」キミは統計(マーケティング)技術を信じてるんかもしれんが、1000人中100人の素人に癒しを与える音楽は、50人中100人の専門家のストレスホルモン=コルチゾルを増大させるのだ。オンガクに癒されるのは単なるリスナーであり、音を聴くと集中して緊張してしまうヒトのことを音楽家っつーわけぢゃん。専門家の触覚は、常にマーケティングその逆に刺さってる。対象を見誤った現場には逆効果しか残らん。一般に高機能なデバイスは、専門家にとってのゴミ以下だろろ
マーケティングとは、正しい意味でガン細胞と同じ物にして、それは、日々再生産されまくってるコピー細胞の中に現れた、偽細胞のコピー量を統計信仰で他己啓発してるってことだと。少数の専門家を軽視してはならん、彼らこそがフィギアスケーターなんだから、な





