1980年代以降、日本の現代思想

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(ポストモダン)はサブカルと深くネクサスしている。が、それももぉアノ日のこと。なぜか?、なんでそーなったんか?。余裕がなくなったからだ。
日本のポップカルチャーはサブカルでは無い。いちぢき"嫌儲"などといわれ、作ってもいないくせにJASRAC批判を繰り返し、稚拙な仲間割れを演出するアマチュアプロレス的ドラマツルギーの連中は、ポップカルチャーであるとしても、そこの思考ベースに共生は無く、よってサブカルでは無い。無論ポストモダンでは無い。自分にスキャンダルが無いもんで他人のスキャンダルばっか追っかける創造力に欠けた無能の輩、情報を吸い寄せる神通を磨かんデクノボォが、ネットにコミニュケーションを求め、妥協する大人がそこにお年玉を夢想し投資する、。とーぜんながらコミュニケーションと共生は別物だ。
 ロングテールなどとゆぅが、どこの世界でもほとんどのつまらんものと、わずかなおもしろいもんの比率は変わらん。ゴミ人間が小粒なゴミ集団に群がってるだけで、北朝鮮か中共かカダフィ大佐か知らんが、余裕の無い人間にサブカルは不可能だ。流行商品としての思想はこれまでにもさんざんあった。思想とまでは言えないまでもアイデンティティもそれであり、自己啓発ブームもそれである。
して、ポップカルチャーとは何か。サムライ、禅、茶道、生け花、着物、歌舞伎、能狂言、伝統工芸・・・・そもそも伝統的日本文化が無い場所には、最初からポップカルチャーしか無い。可逆が無いんだから最初から不可逆しか無く、それは絶対知としてのポップカルチャーであってサブカルでは無い。サッポロ市のハズレに北海道開拓百年記念塔とゆーのがある。それができたのがちょーどいまから40年前。そのひゃくねんまえの1870年って明治3年のことだ(ちょんまげ断髪令が明治4年)。ま、それまでも十分に日本であったし、すくなくとも鎌倉時代(1185年頃-1333年)からアイヌと和人の混血は進んでいたわけだが、「今から開拓するゼッ」っつーくらいのエンドオブザワールドだったわけだから、それ以前にゃサムライ、禅、茶道、生け花、着物、歌舞伎、能狂言、伝統工芸・・・・であるわけがない。最初からアニメやマンガのよーな世界だったわけで。っとゆーか、アイヌ(ヒトという意味)どころかほとんど人間は住んでなかったわけで、これは、東北あたりから北へ向かう微妙なグラデーションのモアレの中のはなしだが。ともかく
して、その開拓後いきなり入ってきたもの、彼らは"モダン"を連発するが実態は生きていく為の"ポストモダン"だった、それがクールジャパン。それについてである。またこんど

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