千秋楽の6じころ、その優勝インタビューを土俵下でやるよーになってから、スモウとゆーものを直視できなくなってしまた。ここぢゅーすーねんのことだ。。優勝して、その力士さまにインタービューするのは、いい。こととしよう。こととするが、その優勝力士がカメラを直視して、ましてや自らマイクを握って、ハッキリとした口調でこっちに向かって・・・、誰がそんな現場を見せろっていったんだ。相撲はソーシャルメディアでは無い
相撲と大相撲は確かに別物であって、一方が武芸を包含した神事であることは明白だ。そんぢゃそのもう一方とは
神事なのか?武道なのか?格闘技なのか?スポーツなのか?スペクタクルなのか?伝統芸能なのか?
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相撲が不調であるのは、この「なんだかよくわからない」性を守り抜くための理論武装ができていないことが最大の理由ではないか。
「大相撲に明日はあるのか?」内田樹より
大相撲とは、なんだかわからないもの。だからこそ、ご祝儀のお礼は支度部屋でこっそりと、カメラが入ってマイクを向けられてもモニャモミャと反応しなければならなく、そぉすべきなのだ。
横綱は正しい意味での日本の神である。いいのもわるいのもなんかワガランのもつっこんだ異形の汎神である。神とヒトとの境目は曖昧であり、勝敗の決定についてなんの権限も持たないのにそこにいる行司という立場のグラデーション、モアレ、ワウフラがあの世への階段を担保している。
「相撲とは何か?」、他人のプライバシーを共有しないこと、自分のプライバシーを共有されないこと。その絶対条件として、情報を公開しないこと。
そして朝青龍はイニシエーションに失敗した。












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