さて、朝青龍である。

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千秋楽の6じころ、その優勝インタビューを土俵下でやるよーになってから、スモウとゆーものを直視できなくなってしまた。ここぢゅーすーねんのことだ。。優勝して、その力士さまにインタービューするのは、いい。こととしよう。こととするが、その優勝力士がカメラを直視して、ましてや自らマイクを握って、ハッキリとした口調でこっちに向かって・・・、誰がそんな現場を見せろっていったんだ。相撲はソーシャルメディアでは無い
相撲と大相撲は確かに別物であって、一方が武芸を包含した神事であることは明白だ。そんぢゃそのもう一方とは

神事なのか?武道なのか?格闘技なのか?スポーツなのか?スペクタクルなのか?伝統芸能なのか?
(snip)
相撲が不調であるのは、この「なんだかよくわからない」性を守り抜くための理論武装ができていないことが最大の理由ではないか。
「大相撲に明日はあるのか?」内田樹より 

大相撲とは、なんだかわからないもの。だからこそ、ご祝儀のお礼は支度部屋でこっそりと、カメラが入ってマイクを向けられてもモニャモミャと反応しなければならなく、そぉすべきなのだ。
横綱は正しい意味での日本の神である。いいのもわるいのもなんかワガランのもつっこんだ異形の汎神である。神とヒトとの境目は曖昧であり、勝敗の決定についてなんの権限も持たないのにそこにいる行司という立場のグラデーション、モアレ、ワウフラがあの世への階段を担保している。
「相撲とは何か?」、他人のプライバシーを共有しないこと、自分のプライバシーを共有されないこと。その絶対条件として、情報を公開しないこと。
そして朝青龍はイニシエーションに失敗した。
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ものは、さぎょーとしてテラフォーミングみたいなものでして、相手がチーズであれば、それはどっちもの味を変えるワインでもって化学変化をおこせばイーノだが、相手が生ハムの場合、それに合う特定の酒なんて無いわけで。それがシャンパンってのも大ウソで、メロンだってほんとはウソだ。甘さは味ぢゃないからね。どっちも味がないどぉーしでニヤニヤしてるだけなんだから、味だけのことゆーならサンペレグリノのほーがよっぽど、ってことょね。
でさ、極上のチーズに極上のワインが合うんぢゃなくて、化学変化なんだからクチのなかぢゃ別物ってことぢゃん。チーズがいいんでもワインがいぃんでもなくて、別のあれだyょアレ。金星の美が毒ガスと硫酸雨で構成されているよーに、ぼくらはグチャグチャの内蔵から外界にむかって統一理論をみせるのよ。クチの先からワームホールを通って腹んなかで核崩壊or核融合or核分裂・・・それをね。
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特定の料理にあう特定のお酒なんて、ほんとにないのだ。ほんとだ
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「恋は異文化交流ょ」

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岡崎京子さんでもぜったい言わなよなこんなカアァxkィこといったのは、ゾメキトキメキのへんしゅうちょ。なぁるほどねー、役が言わせるならば役に言わせられてしまいたい。で、インディペンデントについて考えてる。アメリカならマドンナか、イギリスならアップルで失敗したビートルズか、日本なら矢沢永吉さん(なんで日本人だけさんづけょ)か、ともかくインディペンデントだ、独立だ。ふだんは声が小さくナイーブな芸人が、団体職員らに立ち向かい独立する。緻密に条件交渉し大胆に奴らと刺し違える。異文化だ。けっして個性ではないのだ。個性はえてして定型だが異文化は無意識だから、定型も何も関係ない。すけーるが違う。そもそも生活態度が普通ぢゃなきゃ勝負にならなないのだ。それでも個性といぅならば「お前には欠陥がある」というぅアブソリュートにネガティブな事実を受け入れなければならぬ。よって、。無理だ。ぼくらにはむりだ
して、独立と共生について。

レコード産業は凋落しまくっ

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てるらしぃ。
もちろん僕には関係ない。関係ないどころかメガヒットがなくなったってのは大変喜ばしいことだ。だいたいメガヒットが無くなって誰が困るっていゆーんだ?っそんなにみんなメガヒットが好きだったんか?、音楽産業の悪口=ミリオンセラー作品のことだったんぢゃないんか?「テレビにでてる音楽はろくなもんぢゃない」←あたりまえだ、アイドルは音楽でなくアイドルといぅ特殊な商売なのだ、いいとかわるいとかのハナシでは無い。
で、メガヒットが無くなったその理由

 美術作品→単価が高い→違いの分かるマニアが買う→良いもんが売れる
 音楽作品→単価が安い→民度の低い大衆が買う→ダメなもんがたくさん売れる

というのが、芸術の消費パターン。値段を下げるとこぉなるのだ。行政も金を出すのは売れてる美術作品と売れてない音楽にだ。相対的なハナシだが、良い音楽は売れてないってのは、もぉ誰もが知ってることで。ナメてんのかてめぇ。あぁx人民の権力、やっぱデモクラシーは最悪の政治だ。つくづく集合知というのはあてにならん。ほんとに自由は進化するんか?。音楽のメガヒットが無くなったってゆーのは、それが崩れだした兆候なのよ。バランスがおかしくなってきたってこと。
それでも他の国に比べたら、日本でCDは売れている。ダントツに売れてる。そして、音楽は安泰だ、ちゃんと前進してる。グレゴリアンチャントから受け継がれし発展してきた洋楽も、たかが300年前の作品でさえ誰も聴かなくなった、ってことがそれを証明してる

1980年代以降、日本の現代思想

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(ポストモダン)はサブカルと深くネクサスしている。が、それももぉアノ日のこと。なぜか?、なんでそーなったんか?。余裕がなくなったからだ。
日本のポップカルチャーはサブカルでは無い。いちぢき"嫌儲"などといわれ、作ってもいないくせにJASRAC批判を繰り返し、稚拙な仲間割れを演出するアマチュアプロレス的ドラマツルギーの連中は、ポップカルチャーであるとしても、そこの思考ベースに共生は無く、よってサブカルでは無い。無論ポストモダンでは無い。自分にスキャンダルが無いもんで他人のスキャンダルばっか追っかける創造力に欠けた無能の輩、情報を吸い寄せる神通を磨かんデクノボォが、ネットにコミニュケーションを求め、妥協する大人がそこにお年玉を夢想し投資する、。とーぜんながらコミュニケーションと共生は別物だ。
 ロングテールなどとゆぅが、どこの世界でもほとんどのつまらんものと、わずかなおもしろいもんの比率は変わらん。ゴミ人間が小粒なゴミ集団に群がってるだけで、北朝鮮か中共かカダフィ大佐か知らんが、余裕の無い人間にサブカルは不可能だ。流行商品としての思想はこれまでにもさんざんあった。思想とまでは言えないまでもアイデンティティもそれであり、自己啓発ブームもそれである。
して、ポップカルチャーとは何か。サムライ、禅、茶道、生け花、着物、歌舞伎、能狂言、伝統工芸・・・・そもそも伝統的日本文化が無い場所には、最初からポップカルチャーしか無い。可逆が無いんだから最初から不可逆しか無く、それは絶対知としてのポップカルチャーであってサブカルでは無い。サッポロ市のハズレに北海道開拓百年記念塔とゆーのがある。それができたのがちょーどいまから40年前。そのひゃくねんまえの1870年って明治3年のことだ(ちょんまげ断髪令が明治4年)。ま、それまでも十分に日本であったし、すくなくとも鎌倉時代(1185年頃-1333年)からアイヌと和人の混血は進んでいたわけだが、「今から開拓するゼッ」っつーくらいのエンドオブザワールドだったわけだから、それ以前にゃサムライ、禅、茶道、生け花、着物、歌舞伎、能狂言、伝統工芸・・・・であるわけがない。最初からアニメやマンガのよーな世界だったわけで。っとゆーか、アイヌ(ヒトという意味)どころかほとんど人間は住んでなかったわけで、これは、東北あたりから北へ向かう微妙なグラデーションのモアレの中のはなしだが。ともかく
して、その開拓後いきなり入ってきたもの、彼らは"モダン"を連発するが実態は生きていく為の"ポストモダン"だった、それがクールジャパン。それについてである。またこんど
すべて二流だ」と公言してる身として複合製品はどーかと思ってるが、これっていんぢゃないか?。。。こいつもか。あと、まあ、ひとのコンセントみて我がコンセントみなおせつか。ぜったい買うならおとしだまやるぜ。
あたしのはこんなん。はつでんはまだ

ひのでxeまえの露天に浸か

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る、。ちょぃもぐりしーののばたあしーのの水上は吹雪、ものすご豪雪ーののひゃくすージュードのカラダあっちっちっーののアタマ凍れるーののこれは。これは温度差。さすてぃなぶるにしてなくーてーもの激寒の下界の外界のジゴクの天女の温度差で、はつでんせにゃな。まだひはのぼらん。凍りついたカミノケに降り積もりまくると、同時に首から下の全裸は熱湯であり
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まっくらーい湯けむりの

さてm、to-to-温度差である

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汎用ペルチェ素子によるゼーベック発電。しっぱいしたら報告しない
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クラシック音楽は例外無く100%

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つまらない。
その理由はここのp.5にあるとして、律動と進行音のダブルバインドボンデージが首しめてるってことなんやが、クラシック音楽最大の失敗は、だれがつけたんだか「クラシック」とゆぅそのネーミングにある。キミらがいぅクラシックとはウィーン古典派から印象派フランス近代までのせぃぜぇヒェク年前の百年間のことであって、これは19世紀の半ば、ほぼ同時期に成立したマルクス主義(史的唯物論)と文化人類学(進化人類学)のパイオニア御両人との共軌関係にあるのxょ
 ・ マルクス(1818~1883 Karl Heinrich Marx ドイツ)
 ・ モーガン(1818~1881 Lewis Henry Morgan アメリカ)
この2つとキミのくらしっくは同ぢってこと。考え方の流れはこゆーこと
===
17C ホッブズ≪自然状態(戦争)⇒〔契約〕⇒ 国家(平和)≫
18C ルソー≪自然状態⇒遊牧生活⇒定着村落⇒戦争状態⇒〔契約〕⇒国家≫
19C モーガン≪群生的乱婚状態⇒氏族制度(母系~父系・血縁)⇒国家(地縁)≫
===
わけあって、この年末。
数十万曲のクラシック音楽のなかからいくらでもちょろちょろ堪能できる幸甚にあたったぼくは、いまもどっぶりあびまくっている。あゃxっ;。Gregorian Chantからさっきまでの恐ろしくシリアスな千四百年間様。ジェズアルド(大貴族・殺人者・前衛作曲家)やバルトーク(音のシンメトリー)を、こげなにごちそうさまとは、クラシックの歴史から何も無かった19世紀の百年間をざっくり削除して再定義すべきだ。そのための腹切りならばいっぽkまえぇでてシャツをめくろぢゃないか

しぃてゆー〜んな

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らMIDIたっきゅー
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