ノンタレント議員とは背負ってるモノ&失えるモノのバランスが違うよねぇm、ノンタレント連中がカルチャー語るとき一方彼らはその裏側をみれてる。小泉純一郎氏も「殺されてもいい」といった(らしぃ)ときタレントになったでしょ、余裕がちゃうのょ。殺されてもいいってくらいだから、干されることなんてまったこぅ恐れてない(ょおにすくなくともみえる)その生活態度とバックボーンとして保持してるその政治以外の才能=生業が、采配に余裕を呉れる。政治家たるもの国民目線でいぃわけがなぃ。そもそも専門家たる為政者がカルチャーにクチ出していいわけが無く、箱物をつくるのが彼らのぉ仕事であって、中身をあーだこーだいわれるくらいなら土地だけ供出させて還付金センバイにすりゃいいんであってして。
タレント議員が大好きなよーに、ぼくはマスメディアも大好き。マスメディアはまったくだめぢゃなくって街頭インタビュ=市民の声=電話アンケートがだめなのよ。大媒体が平民におうかがいたててどーすん?大媒体は街場なんか無視してバッハに還るぺきで。その幼少期、ぼくのじっかでわヂゅっ誌ほどの新聞とってたこともあって、地方紙のダメさかげんはょぉわがる。地方紙のダメさかげんはソーシャルメディアの無駄さかげんとおんなしで、机ん上にアシのっけてぇの極低品質な押しつけにより民度さげられ喜べ大市民。人気でちゃう故にマスでありぃのマスメディアは、記名でじぶんの信を問ぃいな、だいぢょぶnョ。、やっぱ無料メディアは信用ならんっつよりか品質がねぇ
ミュージシャンには「音楽家」と「政治家」の2種類がいて、「政治家」ミュージシャンは、だまってても何かをするわけで、ときに手を差し伸べられることに拒否面したりする←集票能力による余裕が担保してるからね。他方、街頭演説&ロビィングを拒否する「音楽家」を口説くほーがどーみても"音楽"の為になるのはあたりまへで、みっけたら必ずシラーズを嗅がせて「おまえさんのミミのほぉがよっぽど複雑だ」と褒め讃えることにしている、が、たいてーはシラーの果肉がその情報量に勝ることも同時に伝えるんだ。
余裕の無い為政者は政治を、余裕の無い貴族・奴隷以外の一般市民は国民をそれぞれやめたほーがいい。80歳で死ぬとして、20歳の国民は世事の25%が、16歳の国民は俗事の20%が自分の責任だと自覚するだろー、が、その責任において講演中彼らは囲碁を嗜む。素晴しい。のこり80%の囲碁力で20%の責任をドライブできるんだから、その天分を拡張すべきであって、20%内の格差がその余裕を担保するし、きみがちゃんと考えてることは僕が小担保するし、そんなアタリマエのことやから報道しないマスメディアだからこそのその
ア人で、マカロニを作ったのは支那人だとゆーこの両面価値、りゃんめんで張合わせるド太いねくたい&駅舎のスクワッド。先週末でおわてしまたが(だいぢょぶ。マカロニ50周年はこの先5年は続く)ディ・モールトな指導者にお会いできた幸甚もってして、ぼくは意志の勝利を授かった。それはリメイクでもマッシュアップですらもなく、只管のカンチガイ←みっつしかない評価基準のまんなか→これが正しい採点法

「メソッド」←音楽であるか否か
「勘違い」←新しさを自覚しているか否か
「キビシさ」←リスク抱えているか否か

であり、そもそもぼくは100%パクリも良しとする。じぶんで書いた毛沢東のサイン売っても良しとする。パクったからダメなんぢゃなくて、モノがダメな場合ダメだからダメってことだよね。パクったかど0−かなんてすくなくとも作るニンゲンが考慮すべきことなんkかぢゃないし、べつにぼくらは権利の為にオンガクやってるわけぢゃないし、死ぬまでに100%まんぞくできるもんをいっこだけ作りたいってことだけがモチベーしょんになるわけであって、着目スベキは、善人ボンデージの畏敬故パクリはモチベーションにならんってこと。コピーレフトが実現してノンパクリフリーな世界がやてきたらなおさらやる気なくなるぢゃn。最もモチベーションから遠い反対の世界が自由の世界であり、だからこそ縛りのキツイ商業作品がニンゲン育てて、自由を与えた学校がそいつを殺す。学生の品質高けりゃ規制の必要なんてなくなるわけだから、お化粧がイコールそのヒトなのと同じよーに、自分に課せられた規制がイコールそのヒト(の民度)。ってことはだいぢょぶだとして、告訴や天罰を覚悟できんやつはダメマカロニの資格を共生的に授与される
 RT @magical_yuni: 白人えらいというのは、潜在意識とかなんでしょうか
先人は完璧に欧米大尊敬的な誤解をもってしてぼくらをコントロールしつづけてきた。なんでかつと、偶像崇拝するんが最も変換能率の高い教育法だったからだよね。クロスロードのその彼岸な此岸はコンナニモか発展してブラボーな、とね。その目指すべき誤解のおかげで、ぼくらはパクリなんちゃらみたいな器のちっさいことは気にせんで発展を目指し「勘違い」と名付ける進歩と調和に驀進をみたってこと。それを描いたのが太陽の塔のその内側であってして、本物の偽物っつう見事なマカロニをくれたわけぢゃん。そだからまずは小分けする責任があるパクリ元を建築するとっからはぢめなきゃ。それはマカロニがダメだからってことぢゃトゼンなくって、その気にさせてくれるマカロニこそが善きマカロニってなことょxy

原盤いっこきーぷ

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DVDRAMむいてみた。こちゃらめだ
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それではフィギアスケート

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、それはスポーツなのか?カーリングはいいとして、フリースタイルスキーは?。答えは縄文土器にある。

つまり、機能一点張りのものを作りたかった訳ぢゃなくて、縄文土器を作りたかった。
縄文土器というのは、使い勝手が良いというのを問題にしなかった。
私はこれを、器離れ - うつわばなれ - と言う。
by 小林達雄(考古学)

すごい、NHK
器としの機能から離れてまでも、宇宙と交信しようとする。あえて不安定なものを作り、その中に神を呼び込み、進化を拒否し深化に挑む。グルメってのは、それぢゃn フィギア道である。より速く滑り降りるアルペン滑降は弥生式でしかなく、その斜度をもってして、より遅く降りたならば、それが縄文土器。オリンピックならば、雪山を上るところからタイムを競うべきだ。でないのであれば寧ろ土偶=道具にして

器っていうのは、器としての本領を全うするために追求する形があっていいんですが、それから離れていくんです。
by 小林達雄(考古学)

機能や効率の押しつけってのは、ときに暴力にして、癒しの押しつけは強姦とイコールである。
数年前になるけど、某地震被災地の避難民を癒すために、その収容所にオンガクをかけたいのだけど・・・・、と相談されたことがあってして、「例えばアンタは、もーつあるとを聞かせたいのか?」キミは統計(マーケティング)技術を信じてるんかもしれんが、1000人中100人の素人に癒しを与える音楽は、50人中100人の専門家のストレスホルモン=コルチゾルを増大させるのだ。オンガクに癒されるのは単なるリスナーであり、音を聴くと集中して緊張してしまうヒトのことを音楽家っつーわけぢゃん。専門家の触覚は、常にマーケティングその逆に刺さってる。対象を見誤った現場には逆効果しか残らん。一般に高機能なデバイスは、専門家にとってのゴミ以下だろろ
マーケティングとは、正しい意味でガン細胞と同じ物にして、それは、日々再生産されまくってるコピー細胞の中に現れた、偽細胞のコピー量を統計信仰で他己啓発してるってことだと。少数の専門家を軽視してはならん、彼らこそがフィギアスケーターなんだから、な

さて、朝青龍である。

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千秋楽の6じころ、その優勝インタビューを土俵下でやるよーになってから、スモウとゆーものを直視できなくなってしまた。ここぢゅーすーねんのことだ。。優勝して、その力士さまにインタービューするのは、いい。こととしよう。こととするが、その優勝力士がカメラを直視して、ましてや自らマイクを握って、ハッキリとした口調でこっちに向かって・・・、誰がそんな現場を見せろっていったんだ。相撲はソーシャルメディアでは無い
相撲と大相撲は確かに別物であって、一方が武芸を包含した神事であることは明白だ。そんぢゃそのもう一方とは

神事なのか?武道なのか?格闘技なのか?スポーツなのか?スペクタクルなのか?伝統芸能なのか?
(snip)
相撲が不調であるのは、この「なんだかよくわからない」性を守り抜くための理論武装ができていないことが最大の理由ではないか。
「大相撲に明日はあるのか?」内田樹より 

大相撲とは、なんだかわからないもの。だからこそ、ご祝儀のお礼は支度部屋でこっそりと、カメラが入ってマイクを向けられてもモニャモミャと反応しなければならなく、そぉすべきなのだ。
横綱は正しい意味での日本の神である。いいのもわるいのもなんかワガランのもつっこんだ異形の汎神である。神とヒトとの境目は曖昧であり、勝敗の決定についてなんの権限も持たないのにそこにいる行司という立場のグラデーション、モアレ、ワウフラがあの世への階段を担保している。
「相撲とは何か?」、他人のプライバシーを共有しないこと、自分のプライバシーを共有されないこと。その絶対条件として、情報を公開しないこと。
そして朝青龍はイニシエーションに失敗した。
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ものは、さぎょーとしてテラフォーミングみたいなものでして、相手がチーズであれば、それはどっちもの味を変えるワインでもって化学変化をおこせばイーノだが、相手が生ハムの場合、それに合う特定の酒なんて無いわけで。それがシャンパンってのも大ウソで、メロンだってほんとはウソだ。甘さは味ぢゃないからね。どっちも味がないどぉーしでニヤニヤしてるだけなんだから、味だけのことゆーならサンペレグリノのほーがよっぽど、ってことょね。
でさ、極上のチーズに極上のワインが合うんぢゃなくて、化学変化なんだからクチのなかぢゃ別物ってことぢゃん。チーズがいいんでもワインがいぃんでもなくて、別のあれだyょアレ。金星の美が毒ガスと硫酸雨で構成されているよーに、ぼくらはグチャグチャの内蔵から外界にむかって統一理論をみせるのよ。クチの先からワームホールを通って腹んなかで核崩壊or核融合or核分裂・・・それをね。
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特定の料理にあう特定のお酒なんて、ほんとにないのだ。ほんとだ
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「恋は異文化交流ょ」

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岡崎京子さんでもぜったい言わなよなこんなカアァxkィこといったのは、ゾメキトキメキのへんしゅうちょ。なぁるほどねー、役が言わせるならば役に言わせられてしまいたい。で、インディペンデントについて考えてる。アメリカならマドンナか、イギリスならアップルで失敗したビートルズか、日本なら矢沢永吉さん(なんで日本人だけさんづけょ)か、ともかくインディペンデントだ、独立だ。ふだんは声が小さくナイーブな芸人が、団体職員らに立ち向かい独立する。緻密に条件交渉し大胆に奴らと刺し違える。異文化だ。けっして個性ではないのだ。個性はえてして定型だが異文化は無意識だから、定型も何も関係ない。すけーるが違う。そもそも生活態度が普通ぢゃなきゃ勝負にならなないのだ。それでも個性といぅならば「お前には欠陥がある」というぅアブソリュートにネガティブな事実を受け入れなければならぬ。よって、。無理だ。ぼくらにはむりだ
して、独立と共生について。

レコード産業は凋落しまくっ

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てるらしぃ。
もちろん僕には関係ない。関係ないどころかメガヒットがなくなったってのは大変喜ばしいことだ。だいたいメガヒットが無くなって誰が困るっていゆーんだ?っそんなにみんなメガヒットが好きだったんか?、音楽産業の悪口=ミリオンセラー作品のことだったんぢゃないんか?「テレビにでてる音楽はろくなもんぢゃない」←あたりまえだ、アイドルは音楽でなくアイドルといぅ特殊な商売なのだ、いいとかわるいとかのハナシでは無い。
で、メガヒットが無くなったその理由

 美術作品→単価が高い→違いの分かるマニアが買う→良いもんが売れる
 音楽作品→単価が安い→民度の低い大衆が買う→ダメなもんがたくさん売れる

というのが、芸術の消費パターン。値段を下げるとこぉなるのだ。行政も金を出すのは売れてる美術作品と売れてない音楽にだ。相対的なハナシだが、良い音楽は売れてないってのは、もぉ誰もが知ってることで。ナメてんのかてめぇ。あぁx人民の権力、やっぱデモクラシーは最悪の政治だ。つくづく集合知というのはあてにならん。ほんとに自由は進化するんか?。音楽のメガヒットが無くなったってゆーのは、それが崩れだした兆候なのよ。バランスがおかしくなってきたってこと。
それでも他の国に比べたら、日本でCDは売れている。ダントツに売れてる。そして、音楽は安泰だ、ちゃんと前進してる。グレゴリアンチャントから受け継がれし発展してきた洋楽も、たかが300年前の作品でさえ誰も聴かなくなった、ってことがそれを証明してる

1980年代以降、日本の現代思想

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(ポストモダン)はサブカルと深くネクサスしている。が、それももぉアノ日のこと。なぜか?、なんでそーなったんか?。余裕がなくなったからだ。
日本のポップカルチャーはサブカルでは無い。いちぢき"嫌儲"などといわれ、作ってもいないくせにJASRAC批判を繰り返し、稚拙な仲間割れを演出するアマチュアプロレス的ドラマツルギーの連中は、ポップカルチャーであるとしても、そこの思考ベースに共生は無く、よってサブカルでは無い。無論ポストモダンでは無い。自分にスキャンダルが無いもんで他人のスキャンダルばっか追っかける創造力に欠けた無能の輩、情報を吸い寄せる神通を磨かんデクノボォが、ネットにコミニュケーションを求め、妥協する大人がそこにお年玉を夢想し投資する、。とーぜんながらコミュニケーションと共生は別物だ。
 ロングテールなどとゆぅが、どこの世界でもほとんどのつまらんものと、わずかなおもしろいもんの比率は変わらん。ゴミ人間が小粒なゴミ集団に群がってるだけで、北朝鮮か中共かカダフィ大佐か知らんが、余裕の無い人間にサブカルは不可能だ。流行商品としての思想はこれまでにもさんざんあった。思想とまでは言えないまでもアイデンティティもそれであり、自己啓発ブームもそれである。
して、ポップカルチャーとは何か。サムライ、禅、茶道、生け花、着物、歌舞伎、能狂言、伝統工芸・・・・そもそも伝統的日本文化が無い場所には、最初からポップカルチャーしか無い。可逆が無いんだから最初から不可逆しか無く、それは絶対知としてのポップカルチャーであってサブカルでは無い。サッポロ市のハズレに北海道開拓百年記念塔とゆーのがある。それができたのがちょーどいまから40年前。そのひゃくねんまえの1870年って明治3年のことだ(ちょんまげ断髪令が明治4年)。ま、それまでも十分に日本であったし、すくなくとも鎌倉時代(1185年頃-1333年)からアイヌと和人の混血は進んでいたわけだが、「今から開拓するゼッ」っつーくらいのエンドオブザワールドだったわけだから、それ以前にゃサムライ、禅、茶道、生け花、着物、歌舞伎、能狂言、伝統工芸・・・・であるわけがない。最初からアニメやマンガのよーな世界だったわけで。っとゆーか、アイヌ(ヒトという意味)どころかほとんど人間は住んでなかったわけで、これは、東北あたりから北へ向かう微妙なグラデーションのモアレの中のはなしだが。ともかく
して、その開拓後いきなり入ってきたもの、彼らは"モダン"を連発するが実態は生きていく為の"ポストモダン"だった、それがクールジャパン。それについてである。またこんど
すべて二流だ」と公言してる身として複合製品はどーかと思ってるが、これっていんぢゃないか?。。。こいつもか。あと、まあ、ひとのコンセントみて我がコンセントみなおせつか。ぜったい買うならおとしだまやるぜ。
あたしのはこんなん。はつでんはまだ

 

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